番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
きょうは「車いすダンス」に魅せられ、地元で普及させようと協会を設立。新たなスタイルを考案した主婦の、グッとストーリーです。
車いすに乗った障害者と健常者がペアを組み、手を取り合って社交ダンスを踊る「車いすダンス」。
障害者スポーツのアジア大会で正式種目に採用されるなど、将来のパラリンピック種目の候補としていま注目されています。通常は二人一組で踊りますが、車いすを自由に操るのが難しい人でも踊れるように、もう一人、後ろから車いすを動かす健常者が加わり、三人一組で踊るスタイルが考案されました。通称「宮城・仙台方式」。
その発案者が、NPO法人・宮城県車いすダンス協会の理事長を務める、健常者の 小野寺サエ子(おのでら・さえこ)さん・74歳です。
「車いすを操作しなくていいので、握力の弱い高齢者の方や、障害の重い方…どんな方でも踊ることができます。表情だけで演技する方もいらっしゃいますよ」
という小野寺さん。大会のときは、通常の社交ダンスと同様、男性は蝶ネクタイ姿、女性はきらびやかな衣裳を着て踊ります。
「施設にいる高齢者の方も、衣裳を着て踊ると、表情がガラッと変わります。普段は元気のない方も、車いすで踊っているときは、顔が生き生きとしてきますね」
小野寺さんは40代半ばの頃、子育てが一段落したのをきっかけに、社交ダンスを始めました。
「初めて踊ったとき『こんな楽しいものがあるんだ!』と感動して、この楽しさをみんなに伝えたい、と思ったんです」。また、大学で教員をやっていたご主人から、ボランティア学生の話を聞かされ、常々、自分も何か社会貢献をしたいと考えていた小野寺さん。
ある日、知人から「東京で、車いすダンスの講習会が行われる」という情報を耳にします。会場へ行ってみると、交通事故で両足と片腕をなくした女性が、唯一残った片手を健常者とつなぎ、笑顔で踊っていました。その姿を見て「どんな人でもダンスができるんだ…」と感銘を受けた小野寺さんは「私も、宮城で車いすダンスを普及させよう!」と決心。1993年、5人ほどのメンバーで、宮城県車いすダンス協会を立ち上げました。
車いすダンスの基本的な技術は、東京で行われる講習会に通って覚え、それを宮城に帰って、みんなに伝えていった小野寺さん。地道な活動を続け、現在、登録人数は40人以上に達しました。
初期から参加している一人が、丹野泰子(たんの・たいこ)さん。中学生のとき突然病(やまい)に襲われ、だんだん歩くのが困難になり、やがて車いす生活に…。その丹野さんが、講習会に来て初めて語った言葉が、小野寺さんは今も忘れられません。
「この会場へ来るまでは、私は人のお世話にならないといけない場合があるので、小さくなってます。でも、ドアを開けて入ったら、対等ですから!」
ダンスをしているときは、自分も表現者として、健常者のダンサーとは対等の関係だ、という丹野さんの言葉に、ハッとさせられた小野寺さん。もっと障害者が前面に出る機会を作ろうと、仙台名物・七夕まつりのパレードに参加、車いすダンスを披露することを思い立ちます。
小野寺さんは主催者と交渉し、宮城県車いすダンス協会は11年間にわたってパレードに参加。沿道の人たちから大きな反響を呼び、車いすダンサーも、これまでにない充実感を味わいました。
しかし2011年3月、東日本大震災が発生。地元が大きな被害を受ける中、小野寺さんは協会の運営方針を転換。活動の中心を、高齢者がいる施設への指導員派遣に変えました。
「3.11以降、世の中が大きく変わりました。こういう時こそ、自由に歩けなくなったお年寄りに車いすダンスを教えて、また元気になってもらおうと思ったんです」
小野寺さんは震災以後、参加を取り止めた七夕パレードの代わりに、2015年から新たなイベント「車いすダンススポーツフェスティバル」を開催。3回目を迎えた今年は、10月1日、仙台市の福祉施設で行われ、35組・80名が参加。衣裳を身にまとい、車いすで楽しそうに踊るお年寄りや障害者ダンサーに、会場を埋めた観客から、大きな拍手が贈られました。一般の競技会と違って、順位を付けないのがこのイベントの特徴です。出場者には「顔の表情が豊かで賞」「三人の息がピッタリだったで賞」など、ユニークな賞が贈られました。小野寺さんは言います。
「ダンスをすると、皆さん笑顔になるんです。車いすダンスを通じて、障害を持っていても胸を張って、前向きに生きている人がたくさんいることを知ってほしいですね」
【10時のグッとストーリー】
八木亜希子 LOVE&MELODY 2017年10月28日(土) より
番組情報
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