番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
今回は、亡くなったご主人の後を受け継ぎ、電気工事会社を経営。確かなな仕事で表彰を受け、社員たちに「お母さん」と慕われている女性社長のグッとストーリーです。
「お母ちゃん、ただいま!『エアコン、すぐに直ってよかった!』って、おばちゃん、えらい喜びなったで!」「寒い中、ありがとうなあ。お茶入れるけー、飲みんさいな!」
鳥取市にある「タツミ電気工事有限会社」では、いつもそんな声が響きます。一般住宅の電気・空調設備の工事が主な仕事で、電気関係のトラブルに電話一本ですぐ駆け付け、その場で修理。「スピードと正確さ」が命ですが、社員はわずか4名。家族的な雰囲気の会社で、社員たちに「お母ちゃん」と呼ばれているのが、社長の木原辰恵(きはら・たつえ)さん・60歳。
底引き網漁の、船長の娘として生まれた辰恵さん。親譲りの気っぷの良さで、工事に行く社員たちを現場に送り出し、激励し、帰ってきたら、ねぎらいます。「うちの社員は、主人が残してくれた“宝物”です」という辰恵さん。もともと辰恵さんは、短大を卒業した後、亡くなった夫・荘一郎(そういちろうさん)が経営する電気工事会社に就職。荘一郎さんは、社長自ら工事に出て仕事の腕は抜群でした。「女房の私が言うのもなんですけど、仕事ができて、ダンディで、星野仙一さんソックリだったんです(笑)」という辰恵さん。
ある日、取引先から数千万円の不渡り手形をつかまされ、倒産の危機に陥ったこともありました。それから荘一郎さんは、作業着をスーツに着替えて得意先を回るなど、よりお客さんに向き合った仕事を心掛けるように。社員も一丸となって仕事に取り組み、5年後に借金を返済。新社屋が建ちました。
1995年、辰恵さんは、荘一郎さんと結婚。ひと回り以上の年の差があり、しかも荘一郎さんは二度目の結婚。両親には猛反対されましたが「この人を一緒に支えていかないと、と思ったので、迷いはなかったです」という辰恵さん。長女の荘子(しょうこ)さんを授かり、幸せいっぱいでしたが、その幸せは、長くは続きませんでした。
2000年、荘一郎さんの胃がんが判明。しかも、余命は3ヵ月と宣告されたのです。辰恵さんは社長代行として会社を支える一方、看病のため会社と病院を往復しました。だんだんやせ細っていく荘一郎さん。しかし「娘の誕生日まで、生きていたい」と、医師も驚くほどの気力を見せ、病室で荘子さんの誕生パーティーを開くことができました。ケーキを「おいしい、おいしい」とほおばる荘一郎さんの笑顔が、今も忘れられないという辰恵さん。その2日後、荘一郎さんは他界。
悲しみに打ちひしがれる中、追い打ちをかけるように、信頼していた一部の友人たちが離れていき、会社は再び危機に直面、残ってくれた社員たちがこう言ってくれました。
「お母ちゃん、社長をやらんか? わしらが支えるから」
その言葉に「いつまでも悲しんではいられない。主人の残してくれた“宝物”を守らないと」と思い直した辰恵さんは、2002年、現在の「タツミ電気工事」を創業。少人数で丁寧な仕事を心掛けこれまでの顧客も「荘一郎さんを支えた奥さんなら間違いない」と引き続き仕事を依頼してくれました。
懸命に働いてくれる社員をねぎらうため、辰恵さんが始めたのが、毎朝コーヒーを淹れること。豆から挽いたコーヒーを、社員一人一人の顔を見ながら「飲みんさい」と渡す辰恵さん。社長というより「みんなのお母ちゃんでいたい」というのが、辰恵さんのモットーです。
しかし、新会社設立から3年後、辰恵さんは体に変調を感じ、すぐに検査に行くと胃がんが判明。目の前が暗くなりましたが、社員のためにも、幼い娘のためにも、ここで死ぬわけにはいかないと、胃の5分の4を摘出する手術を受け、克服。5年後には、大腸がんも乗り越えました。
去年は鳥取県内で唯一、一年間無事故・無違反の会社として「優良電気工事店」の表彰を受けたタツミ電気工事。辰恵さんは言います。
「主人が残してくれた大切なものを守っていきたい、という思いが、困難に打ち克ってこられた原動力になりました。これからもお客さん、社員、回りの方々一人一人に向き合っていきたいと思います」
【10時のグッとストーリー】
八木亜希子 LOVE&MELODY 2018年1月27日(土) より
番組情報
あなたのリクエスト曲にお応えする2時間20分の生放送!
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