第8回 沢田研二『TOKIO』
最近、ますます加熱するアナログ盤ブーム。そしてシングル盤が「ドーナツ盤」でリリースされていた時代=昭和の楽曲に注目する平成世代も増えています。
子供の頃から歌謡曲にどっぷり浸かって育ち、部屋がドーナツ盤で溢れている構成作家・チャッピー加藤(昭和42年生)と、昭和の歌謡曲にインスパイアされた活動で注目のアーティスト・相澤瞬(昭和62年生)が、ターンテーブルでドーナツ盤を聴きながら、昭和の歌謡曲の妖しい魅力について語り合います。
チャ:「僕のコーヒーはクリープ。純粋だから好きなんだ」……これ、みんな覚えてるかなあ? こんにちは、チャッピー加藤です。
相澤:あ、もしかしてジュリーですか? こんにちは、相澤瞬です。
チャ:ぴったしカンカン! さすが瞬くん、カンがいいね! ジュリーって昔、クリープのCMやってたのよ。
相澤:へー! そうなんですか!
チャ:オレの実家、コーヒーはあまり飲まない家だったんだけど、おまけのジュリーマグネットが欲しくてさぁ。ガキの頃、親にクリープ買ってくれってねだったなー。そういう経験ない?
相澤:ありますあります! さすがにクリープをねだったことはないですけど(笑)。
チャ:で、クリープからラジオの話に持ってくけど、当時ジュリーはニッポン放送でレギュラー番組持ってたんですよ。タイトルは『沢田研二 夜はいい奴』。
相澤:素敵なタイトルだー。昭和な感じがしますね!
チャ:なんかいいよねー。で、提供が森永だったのよ。ジュリーがしゃべって、クリープのCMにもジュリーが出て来るの。あー、もう一回聴きたい!
相澤:じゃあチャッピーさん、きょうは『夜はいい奴』のオマージュということでいきますか!
チャ:いいねー。『昼は悪い奴』?
相澤:そういうことじゃないです!(笑)
チャ:てなわけで先週に引き続き、ニッポン放送のスタジオから、文字情報だけの「なんちゃって放送」でお送りします。……まさに「クリープを入れないコーヒー」だなー(笑)。
■80年代の幕を開けた『TOKIO』
チャ:で前回は、ザ・タイガース解散後のジュリーが、どういう経緯で井上堯之バンドをバックに歌うことになったのかを、ザッと説明したけど……瞬くん、いちいち頷いてたよね?
相澤:いやー、先週はバンドやってるボーカリストとして「わかるわー!」って話ばかりでした。もう、共感しかなかったです!
チャ:前回は、ジュリーファンの皆さんが拡散してくださったお陰で、かつてないビュー数になりましたが、「PYGって初めて知りました」「ジュリーってバンドやってたんですね!」てな反応もあったりして、ああ、この連載も少しは役に立ってるんだなと(笑)。
相澤:自分も勉強になりました!……それよりチャッピーさん、前回のラストで「深い絆で結ばれていたジュリーと井上堯之バンドにも、別れの時がやって来る」って言ってたじゃないですか? 続き、早く聞きたいんですけど!
チャ:あ、もしかして、引っ張った甲斐があった?(笑)じゃ今回は、堯之バンドがバックを務めた最後のシングル、いってみよう!
チャ:1980年1月1日発売、ジュリー29枚目のシングル、『TOKIO』。作詞は糸井重里さん。作曲は加瀬邦彦さんね。
相澤:僕、この曲、メッチャ影響受けてます! ニューウェーヴ入ってますよね?
チャ:『TOKIO』以後、ジュリーはどんどんアーティスト性を高めていって、これはハッキリ分岐点になった曲だけど、発売日からして決意を感じない?
相澤:1980年の元日……あ、そうか! 80年代最初の日だ!
チャ:ふつう元日にレコード出さないでしょ? でもジュリーは、どうしてもこの日にしたかったんだよ。誰よりも早く、80年代の扉を開けたかったんじゃない?
相澤:確かに、「自分が新しい時代を創るんだ!」っていう、並々ならぬ決意を感じますね。このジャケットも、かなり攻めてるし。
チャ:今見ても古臭さを感じないもんなー。このジャケット、当時オレは中学2年生だったけど、けっこう衝撃的だったよ。
相澤:あとこの曲っていうと、「パラシュート」ですよね? 衣裳というより、もはや大道具だと思うんですけど(笑)。あれって、どの歌番組でも背負ってたんですか?
チャ:うん。テレビ局側も大変だったと思う。大仕掛けだから、かさばるじゃん。しかも、衣裳にド派手な電飾付いてるし(笑)。
相澤:ジュリーが感電したら、一大事ですもんね!
チャ:ジュリーだから許されたんだよ。電飾ピカピカスーツも、パラシュートもジュリー自身のアイデアなんだけど、とにかく「80年代は誰もやったことがないことをやったるでー!」と宣言した曲だよね。……さっそく聴いてみよう。
(♪ターンテーブルに乗せて、演奏)
相澤:うわー、もうイントロからブッ飛んでる! 振り切ってますよねー。当時中2だったチャッピーさんは、TVで観てどう思ったんですか?
チャ:「なにコレ?」だった(笑)。だって、パラシュート背負って歌ってる歌手なんて、世界のどこにもいなかったから。
相澤:これって、ひとつ間違うと、お笑いになっちゃいますよね?
チャ:なるね。でもこれはならなかった。ひたすらカッコよかった。なぜなら、ジュリーだから。
相澤:糸井重里さんの歌詞も、街が飛ぶとか冷静に聴くと意味はわかんないけど(笑)、振り切ってますよね!
チャ:ここで糸井さんを起用したのも決意の表れで、75年の『時の過ぎゆくままに』以降、70年代後半の主要な曲は、ずっと阿久悠さんが作詞してたのね。
相澤:『勝手にしやがれ』『サムライ』『LOVE(抱きしめたい)』『カサブランカ・ダンディ』……あー、みんな阿久さんだ。
チャ:でもジュリーは、実を言うと、阿久さんの描く「気障(きざ)な世界」は、そんなに好きじゃなかったんだって。
相澤:ああ、それで、ちょっと違う作詞家と組んでみようと。
チャ:それ、絶対あったと思うのよ。阿久さんの世界に染まりすぎることへの危機感というか。
相澤:作詞家ってけっこう、アーティストの色を決めますからね。
チャ:そう。80年代になるわけだし、これまでの歌謡曲とは別な文法で作詞ができる人……ってことで、時代を席巻していたコピーライターの糸井さんにオファーが行ったんだと思う。
相澤:僕にとっては『ほぼ日』の方なんですけど、糸井さんってその頃からいろいろ活動してらっしゃったんですか?
チャ:うん。『ペンギンごはん』とか、『ヘンタイよいこ新聞』とか(※ググってね)、重要なのは、78年に矢沢永吉自伝『成りあがり』の構成・編集を手掛けたこと。オレは永ちゃんには憧れなかったけど(笑)、糸井さんにはメッチャ憧れたなー。
相澤:つまり本職が作詞家じゃない人に、作詞を頼んだわけですね。
チャ:そう。ただ、ジュリーにはちゃんとバランス感覚があって、作曲は今までどおり、加瀬邦彦さんなのよ。加瀬さんにとってもこの曲は新境地になって、その延長線上に瞬くんの大好きな「セイントフォー」がある、と(笑)。
相澤:つなげますねー(笑)。……で、バックも今まで同様、井上堯之バンドですけど、なぜこの曲が最後になったんですか?
チャ:前回も話したとおり、堯之さんは「歌謡曲に寄ってくのは、ある程度仕方ない。割り切って黒子に徹しよう」と決めたわけ。
相澤:ジュリーが好きだったからこそですよね。
チャ:でもジュリーは、化粧して歌番組出たり、衣裳も奇抜になっていって……電飾スーツにパラシュート背負ったジュリーを見て、堯之さんは「もう付いていけん! 降りる!」と。
相澤:うーん……まあ、仕方なかったんですかねえ……。
チャ:ジュリーからすれば、ずっとソロ活動を支えてくれた大切なパートナーだし、失いたくないけど、堯之さんは純粋に音楽を究めたいわけで。「そこまで付き合えない」って、それもわかるんだよなー。
相澤:あー、どっちの気持ちもわかります! そこはお互い、妥協できなかったわけですね。
チャ:そう。結局、この曲を最後に堯之さんはジュリーと袂を分かつことになって、バンドも解散しちゃうのよ。
相澤:え、解散ですか!?
チャ:堯之さんも相当悩んだと思うのね。当時、堯之さんのところにジュリーファンから手紙が殺到したんだって。「パラシュートだけは止めさせて!」って。
相澤:えー!(笑)…そうか、ファンの間でもパラシュートは賛否両論だったんですね。
チャ:でもそれを選んだのは、ジュリーの決断であり、パラシュートを背負ったからこそ、80年代も先端を走れたと思うんだけど、その代償として、かけがえのないパートナーを失ったわけですよ。
相澤:つらいですね……。
チャ:で、1月24日のジュリー日劇ライヴを最後に、井上堯之バンドは解散するんだけど、そのあとジュリー、胃潰瘍で入院しちゃって。
相澤:わわわ……相当ショックだったんですね…。
チャ:この『TOKIO』のギターって、イントロからホントに素晴らしいんだけど、そんな背景をふまえて聴くと、堯之さんはどんな気持ちで弾いてたんだろうって、つい考えちゃうなー。
相澤:この軽快な曲のウラ側に、そんな葛藤があったなんて、知りませんでした……。でも、パラシュート背負ったのは、正解だと思います! 一度観たら、忘れられないですもん。僕は「振り切っていて格好いい! 最高!」って心から思いました。
■ジュリーへの餞別
チャ:まあ、そんなこんながあった『TOKIO』なんだけど、もうひとつ注目してほしいのはB面の曲で、堯之さんが曲書いてるの。
相澤:あ、ホントだ。『I am I(俺は俺)』って、これまた印象的なタイトルですね。
チャ:作詞は仲畑貴志さんで、糸井さんと並んでコピーライターブームを作った人だけど、これがまた名曲なのよ。
相澤:ぜひ聴きたいです!
チャ:先日、担当番組の『八木亜希子 LOVE & MELODY』にジュリーファンからこの曲のリクエストが来て、オンエアしたんだけど、久々にラジオで聴いてグッと来たなー。レコード裏返して、改めて聴いてみよう。
(♪ターンテーブルに乗せて、演奏)
相澤:バラードですね。いい曲!
チャ:実はこれ、オープニングの話につながるんだけど、ジュリーが出てた日産ブルーバードのCMに、BGMで流れてたのよ。
相澤:つなげてきますねー(笑)。
チャ:最後にジュリーが「ブルーバード、お前の時代だ」って言うんだけど、あれもカッコよかったなー。クルマは親にねだれなかったけど(笑)。
相澤:(歌詞カード見て)この曲、人生を舞台に喩えてるんですね。
チャ:そう、「お前はお前を演じればいい、俺は俺が決めた道を生き抜くだけだ」てな内容だけど、ジュリー版『マイ・ウェイ』だな。
相澤:でもさっきの話をふまえると、「それでも俺は俺、我が道を行く」って、まさに当時のジュリーの心境そのものじゃないですか?
チャ:そうなのよ! だから余計にグッと来るのよ。
相澤:しかも「もう俺は付いていけない」と言った堯之さん自身が曲を書いてるんですもんね……うわー。
チャ:これは自分の勝手な解釈だけど、堯之さんはきっと「沢田、これが最後になるけど、独りでもしっかりやってけよ!」っていう餞別の思いを込めて、この曲を書いたんじゃないかな。
相澤:いい話ですねー。そしていい曲!……ところでジュリーは、井上堯之バンドが解散した後、バックはどうしたんですか?
チャ:80年に、イカ天審査員でもおなじみの吉田建さんほか、気鋭のミュージシャンたちを集めて「ALWAYS」という新バンドを結成するんだけど、これが翌年「EXOTICS」に発展して、80年代ジュリーのパフォーマンス路線に大きく貢献するわけ。
相澤:ジュリーって、必要なときに、必要な人が集まってくるんだなー。アーティストパワーなんですね、きっと。
チャ:そうだねー。そして「井上堯之なくして、ソロ歌手ジュリーなし」、これは改めて強調しておきたい。改めて、ご冥福をお祈りします。
相澤: また近いうちに、80年代以降のジュリーの曲も取り上げたいですね。好きな曲、いっぱいあるんで。
チャ;OK! ジュリーファンの皆様、また拡散よろしくです!(笑)
……次回は、岩崎宏美『ロマンス』について二人が熱く語ります。お楽しみに!
【チャッピー加藤/Chappy Kato】
昭和42年(1967)生まれ。名古屋市出身。歌謡曲をこよなく愛する構成作家。好きな曲を発売当時のドーナツ盤で聴こうとコツコツ買い集めているうちに、いつの間にか部屋が中古レコード店状態に。みんなにも聴いてもらおうと、本業のかたわら、ターンテーブル片手に出張。歌謡DJ活動にも勤しむ。
好きなものは、ドラゴンズ、バカ映画、プリン、つけ麺、キジトラ猫。
【相澤瞬/Shun Aizawa】
昭和62年(1987)生まれ。千葉県出身。懐かしさと新しさを兼ね備えた中毒性のある楽曲を、類い稀なる唄声で届けるシンガーソングライター。どこまでもポップなソロ活動、ニューウェーヴな歌謡曲を奏でる「プラグラムハッチ」、 昭和歌謡曲のカバーバンド「ニュー昭和万博」など幅広く活動。
好きなものは、昭和歌謡、特撮、温泉、うどん、ポメラニアン。