吉田沙保里とゴーン被告から感じる「引き際」の難しさ
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「報道部畑中デスクの独り言」(第108回)では、ニッポン放送報道部畑中デスクが、スポーツ界、産業界の「引き際」について解説する。
「ひ・き・ぎ・わ」というかくし芸をご存知でしょうか?
「紅白・レコ大・かくし芸」、その昔、年末年始と言えば、この三大番組でした(いまは「紅白・駅伝・格付けチェック」といったところでしょうか)。中でも「かくし芸」=新春かくし芸大会は旬のスターたちが普段見せない高度な芸を披露する番組として一世を風靡しました。そして、そこには「ミスターかくし芸」と呼ばれる人がいました。堺正章さんです。毎年毎年、堺さんは極めて難易度の高い芸に挑戦するのですが、中でも伝説となっているのがこの「ひ・き・ぎ・わ」でした。テーブルクロスをそこに置かれたワイングラスや料理の皿から中身がこぼれることなく、一気に引き抜く芸当です。番組では外国人と談笑している堺さんが「何をやるのか」と期待と不安の中、最後のわずか数秒でこの芸当を見せ、視聴者の度肝を抜いたのです。この「テーブルクロス引き」を「ひ・き・ぎ・わ」と名付けたスタッフのセンスも抜群だったと思います。
さて、本来の意味の「ひ・き・ぎ・わ」=「引き際」です。最近話題になったのはレスリング女子の吉田沙保里さん。「レスリングはもうすべてやり尽くした」と話す吉田さんは文字通りすべてが吹っ切れた表情に見えました。2020年の東京オリンピックに出場するかどうかの葛藤に悩まされたことは容易に想像されます。実際会見でも「自分もまたがんばらないといけないのかな、すごく迷ってここまで来た」と話しています。その上で「若い選手たちが世界で活躍する姿を見ることも多くなって、この子たちにバトンタッチしてもいいのかなと思うようになった」…そこには後輩への「思いやり」さえ感じます。父親の栄勝さんには生前、引き際が大事だと、勝って終わることが大事だとずっと言われていたそうです。その父親の言葉にも忠実な吉田さんでした。
そして「女性としての幸せというのは絶対につかみたい」と語ります。何よりも私たちは吉田選手の戦いを通じて、数え切れないほどの夢や勇気をいただきました。余計なお世話は承知の上で、「女性として」に関わらず、これからの人生、幸せになってほしいと心から思います。
一方、「引き際」と言えばこちらも考えさせられます。再三お伝えしている日産自動車のカルロス・ゴーン前会長、特別背任の罪で追起訴され、改めてニュースとしての表記は「被告」となりました。ゴーン被告の功罪はこれまでもお伝えしましたし、司法の判断はまさにこれからで、判断や見方は二分することになるでしょう。
しかし、「トップの引き際」という視点でいえば、ゴーン被告には厳しい評価を下さざるを得ないのは論を待たないと思います。思えば、ルノーが日産と資本提携したのが20年前の1999年。その後、「日産リバイバルプラン」という再建策を発表します。その内容は…、
(1)2000年度連結当期利益を黒字化する
(2)2002年度連結売上高に対する営業利益率を4.5%以上とする
(3)200年度末までに自動車産業の連結有利子負債を7000億円以下に削減する
それらを達成するために村山工場など5つの工場の閉鎖。グループ人員の2万1000人削減。下請け企業の半減。基幹4社を除く株式売却=系列の事実上の解体を打ち出しました。さらに「コミットメント(必達目標)経営」が掲げられ、ゴーン被告は「コミットメントで、達成できなければ辞任する」と明言しました。多くの人が目標達成に懐疑的だった中、当初の予定より1年前倒しで計画を達成したばかりでなく、2兆円を超える有利子負債も完済したことで、ゴーン被告は「有言実行」「改革者」として時代の寵児となったわけです。
しかし、その後の経営計画「日産180」「日産バリューアップ」「日産GT2012」「日産パワー88」では必ずしも目標は達成されず、特に世界シェア8%、営業利益率8%を掲げた「日産パワー88」はほとんどの目標が未達に終わっています。このころのゴーン被告はこの数字はコミットメントではなく「努力目標」と語るなど、発言をトーンダウンさせてきました。さらに目標達成を進退の条件としていた就任当初から、最近は「(進退は)株主が決めること」というコメントが目立ってきます。考えてみると、日産の筆頭株主はルノー、その会長がゴーン被告なのですから、「自分のことは自分で決める」と言っているようなものです(あるいは、ルノーの筆頭株主はフランス政府ですから、「自分の命運はフランス政府が決める」という解釈もできてしまいます)。
このあたりから日産内部でも不信感が高まってきたのでしょう。ゴーン被告については法的な正義は別として、「引き際を誤った」ケースとして後世に語り継がれていることになると思われます。トップに立つ者の2つのケース。「引き際」というものがいかに難しいものかということを改めて思い知らされます。(了)