年の終わりに…日産の誇るべき「二枚看板」に思う

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「報道部畑中デスクの独り言」(第106回)では、ニッポン放送報道部畑中デスクが、日産自動車について解説する。

年の終わりに…日産の誇るべき「二枚看板」に思う

【日産、カルロス・ゴーン容疑者逮捕】日産自動車グローバル本社 提供産経新聞

今年11月に突然飛び込んできた日産自動車のカルロス・ゴーン会長(当時)の逮捕。最初の逮捕容疑は金融商品取引法違反でしたが、東京地裁による勾留延長が却下されるや、東京地検特捜部は特別背任容疑での再逮捕に踏み切りました。保釈の可能性が取り沙汰されていた中での再逮捕に、再び衝撃が走り、事件は越年が確定的に。そしてこれに伴うルノー・日産の主導権争いも長期化が濃厚となっています。

小欄でもお伝えしてきましたが、日産はゴーン容疑者解任による後任会長について「継続協議」とし、新たに「ガバナンス改善のための特別委員会」(以下 ガバナンス委員会)なる組織を新設しました。来年3月末をめどに提言をまとめるということです。一方で、ルノー側は再三にわたって臨時株主総会の開催を求めていますが、日産は難色を示しています。

関係者は「仮に、ゴーン容疑者の法的不正が認められなかったとしても、会社としての不正は残る」と話します。これはどういうことか…ルノーの影響を無視できない株主総会を開く前に、ガバナンス委員会で不正の「ルール」をつくってしまい、ゴーン容疑者の会社としての不正を「既成事実化」する、そして日産が主導権を握る…という日産側のシナリオが透けて見えます。一方、ルノーは主導権を維持するため、株主総会の開催を求める…そんな構図になるのでしょう。筋としては機関決定として株主総会を行うべきなのでしょうが、そこは日産とルノーの主導権争い…抜き差しならない状態であることは間違いありません。

一方、ユーザーの立場から見れば、とにかく日産ブランドが今後どうなるのか…多くの一致する思いだと思います。ゴーン体制の功罪は多々ありますが、今回は「功」についてあえて触れます。倒産寸前の状態にあった日産を危機から救った手腕は誰もが認めるところです。そしてユーザーから見た場合の最大の功績は、歴史ある2つの車種=ブランドを復活させたことだと思います。

その2つのブランドとはズバリ、GT-RとフェアレディZです。

GT-Rは1969年、三代目スカイライン(C10型)の高性能版として登場、四代目(C110型)では排出ガス規制のあおりを受けてわずか197台を生産したのみで系譜が途切れますが、1989年に八代目(R32型)で16年ぶりに復活、その後十代目(R34型)まで続くものの、2002年にこれまた排出ガス規制の影響で生産終了。その5年後の2007年に単独の車名「GT-R」(R35型)として三たびの復活を遂げ、現在に至ります。

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スカイラインGT-R(PGC10型)最初にGT-Rを名乗った

そして、そのルーツは二代目スカイラインにさかのぼります。1964の日本グランプリでスカイラインGT(S54A-1型)が1周だけとは言え、優勝候補であったポルシェの前を走りました。これが「伝説」を生み、三代目に登場したGT-Rは日本国内のレースで50勝以上の勝利を挙げました。設計者の櫻井真一郎さんは「スカイライン産みの親」としてあまりにも有名です。

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二代目スカイライン(S54A型) GT-Rのルーツともいえるクルマ

 

年の終わりに…日産の誇るべき「二枚看板」に思う

現GT-R(R35型)今は1000万円を下らないスーパースポーツカー

一方のフェアレディZ。北米市場で求められる新しいスポーツカーの需要にこたえるために1969年に登場(S30型)。当時の日産のブランド名から「 DATSUN Z(ダットサン・ゼット。またはダッツン・ズィー)としてアメリカでは親しまれ、10年近くの長きにわたって生産。55万台という当時のスポーツカーとしては空前の販売数となりました。現在でも旧車の中で根強い人気を誇っています。そのZをアメリカに知らしめたのは時の米国日産の社長、片山豊さんで、「ミスターK」としてこれまた伝説の人物です。2000年にいったん生産を終了しますが(Z32型)、その後、ゴーン容疑者の「Zを復活させる」という高らかな宣言により、2002年にZ33型として華々しい復活を遂げるのです。

年の終わりに…日産の誇るべき「二枚看板」に思う

初代フェアレディZ(S30型 写真手前)

 

年の終わりに…日産の誇るべき「二枚看板」に思う

現行フェアレディZ(Z34型)

この2つのブランド、ただ高性能というわけではなく、幾多のドラマやストーリーがありました。昨今は「モノづくり」より「コトづくり」が大切だと言いますが、一朝一夕にできるものではありません。そのいい“教科書”が日産には2つもあるのです。世界広しと言えど、このような個性ある「二枚看板」を持つメーカーはないのではないでしょうか。トヨタさえもいまだ築けていないものと言えます。

この2つのブランドはともにゴーン体制によって復活したものです。いわば「日産復活の象徴」で、このころはゴーン容疑者の“目利き”としての才能も冴えていたと思います。西川広人社長を含め、ゴーン容疑者が日産とルノーのCEOを兼務した2005年ごろが分岐点と分析する人を多いのですが、確かにそれ以降は歴史ある車種がどんどん消えていったように思います。かつて人気のあった車種も改良を怠り、いわば「店ざらし」にしたあげく「マーケットがない」などと言って消滅させた車も少なくありません。ただ、それがすべてゴーン体制に帰依するものなのか、必ずしもそうとは言い切れないと感じています。

実は復活させたGT-RとZについて、当時の開発責任者は定年退職で日産を去っています。はたしていまの日産の経営陣にGT-RやZをはじめ、ブランドを大切にしている人がどれほどいるのか、そして本当にクルマに対して愛情を持っているのか…そのあたりがどうにも希薄に感じてしまうのが気になるところです。しかし、それがなければ、いくら日産が主導権を得ても、その前途は決して明るいものにはならないでしょう。

ゴーン容疑者逮捕に端を発した日産とルノーの経営問題、その決着は越年となりますが、以前も申し上げた通り、とにかく「いいクルマ」「ワクワクするクルマ」をつくるために何が必要か…その根幹だけは決して忘れてほしくない、そんな思いを込め、2018年小欄の結びとさせていただきます。

来る2019年もよろしくお願いいたします。良いお年をお迎え下さい。(了)

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