昭和の改元に起きた“世紀の大誤報”とは?
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大正15年・1926年12月25日、大正天皇が崩御されました。それに伴い『昭和』がスタートしましたので、『昭和元年』は実質7日間ということになります。
『昭和』という元号には“国民の平和と、世界の共存と繁栄を願う思い”が込められています。
大正天皇が崩御されてから数時間後、『東京日日新聞』、現在の『毎日新聞』が号外で『新元号は“光文(こうぶん)”』と報じました。ところがその後、政府から発表された新元号は『光文』ではなく『昭和』でした。
こうして本来ならば“世紀のスクープ”だったはずが、一転して“世紀の大誤報”となってしまいました。
どうして、こんなことが起きてしまったのでしょうか? 2つの説があるそうです。
1つは“記者の方が間違った情報を仕入れてしまった”という説。もう1つは、“本当は『光文』で決まっていたのに、事前に発表されてしまったので『昭和』に差し替えた”という説です。
どちらの説が本当なのか? いまとなっては分からないそうです。
そんな『東京日日新聞』、現在の『毎日新聞』ですが、元号が『昭和』から『平成』に改められるときも事前に情報をつかんでいたそうですが、『光文』の件があったので号外は出さなかったそうです。
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