
それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

ビンテージサックス専門店「サウンド風雅」オーナー・松雄良実さん
埼玉県の中央に位置する坂戸市は、人口約10万人ほどです。北に東松山市、南に川越市や、夏になると毎年のように最高気温を記録する鳩山町とも隣接しています。
東武東上線の急行に乗って、池袋から45分ほど。北口の「サンロード商店街」を少し入ったところに、2020年6月、とあるお店がオープンしました。夕暮れ時、お店の前を通ると、金色に輝くものがずらりと並んでいます。
その正体は、管楽器のサックスフォーン。近くに音楽関係の学校やジャズバーがあるわけでもなく、サックスとは無縁に思える地で、なぜ専門店がオープンしたのか? お店を訪ねると、こんなお話がありました。

坂戸駅北口のサンロード商店街
ビンテージサックスの専門店「サウンド風雅」。オーナーの松雄良実さんは61歳、長野県小諸市のご出身で、小さいころから機械いじりが大好きでした。
「家が貧しく自転車を買ってもらえなかったので、自分でつくったんですよ。スクラップ屋さんをまわって自転車の部品を安く分けてもらい、最後は自分で塗装までしましたね。近くの自転車屋さんのおじさんが、『これ、君がつくったの? 世界に1台しかない自転車だね。うちの店で働かないか?』と、小学生の私をスカウトしたほどでした(笑)」
高等専門学校(高専)の機械科に進み、その後、仕事に関する転勤で日本各地を回ります。八王子に住んでいた15年ほど前、たまたま入ったリサイクルショップのジャンク品コーナーで、音の鳴らない壊れたサックスを見つけます。
楽器に関してはまったくの素人だった松雄さんでしたが、サックスの独特な形状を見て「どんな仕組みになっているんだろう?」と、機械いじりの好奇心がむくむくと湧いて来たそうです。

マイケル・ブレッカーが所有していたテナーサックス(右)と、隣は西郷隆盛が生きていた当時に制作されたサックス
初めて触れるサックス。およそ600ものパーツでできており、トーンホールと呼ばれる穴は25個。指の数は限られているので、遠くのホールも一度に押さえられるようにレバーがついている。丸い蓋のなかにはタンポ、またはパッドと呼ばれる羊の皮でくるんだフェルトの円盤があって、これが古くなると隙間ができて音が鳴らない……。
そんな知識をネットで探り、見様見真似で松雄さんは直してしまいます。これをネットオークションに出品したところ、意外なほど高値で売れたそうです。そのお金を元手に壊れたサックスを購入し、修理するとまた売れる。それを繰り返すうちにサックスが増え、看板も出していない自宅に、わざわざ1時間かけて買いに来るお客さんもいたほど。
「八王子まで来てもらって申し訳ない」と思っていたある日、仕事の上司から「思い切ってやってみたら?」と背中を押されたそうです。どうせお店をやるなら、管楽器店が集まる新宿の大久保がいいだろうと、新大久保駅の近くに2008年、「サウンド風雅」をオープンさせました。

マイケル・ブレッカーのテナーサックスに関する解説文
ビンテージサックスを扱うお店として、だんだんと知られて来た2011年。あの東日本大震災が発生し、3階建てのビルの3階にあったお店が、立っていられないほど激しく揺れました。
棚に並んでいたサックスを、両手を広げて体で押さえつけていると、天井のシャンデリアが落下して頭をかすめました。幸いなことにケガもなく、サックスも無事でしたが、そのときに思ったのが「一極集中ではダメだ」ということ。
震災後、すぐに「大阪なんば店」を出してサックスを分散させました。「新大久保からは離れない」と決めていた松雄さんでしたが、去年(2020年)4月、最初の非常事態宣言が発令されたときに、その気持ちが変わります。

展示してあるサックスで演奏されたマイケル・ブレッカーのCD
「新型コロナで、ひとつの時代の変わり目に来ているような気がしたんです。一極集中は日本の力を弱めますし、地方が力を発揮してこそ国は活力を増すと思い、郊外ですが、電車や車の便がいい坂戸に決めました」
坂戸市の家賃は、新大久保の3分の1。コインパーキングは1時間100円。
「すぐにお客さんは来ないだろうと思っていたのですが、店を開くと、最初のお客さんが車で名古屋から来てくれたのです。サックスを1本買って帰られました。サックスが好きな方にとって、距離や不便さは関係ないんですよね」

松雄さんのご自宅から見える風景(撮影:松雄良実)
時おり、「なぜ新品のサックスを扱わないのか」と聞かれることがあるそうです。
「新品は、箱のなかから出して、右から左へ売られる“もの”なんです。ビンテージには100年前の楽器もあって、しっかり手をかければ、眠りから醒めたように素晴らしい音色で歌い始めます。吹く人によって響きも違い、『あなたを待っていた』と言わんばかりに鳴るのを聴いていると、出会いの妙をとても感じます。この仕事は『売り手の思いを買い手につなげる』、いわば仲人なんです」
「奥さんとサックス、どっちが大事ですか?」なんて聞いて来る人もいるとか。
「そんな野暮なことは聞かないでください。うちのお客さんのなかには、サックスと一緒に寝ている人もいるのですから……」

「サウンド風雅」店内
■サウンド風雅 埼玉本店
住所:埼玉県坂戸市日の出町2-10
電話/FAX:049-298-8380
■サウンド風雅 大阪なんば店
住所:大阪市浪速区難波中3-7-20 福井ビル4F
電話/FAX:06-6644-5557
営業時間:11:00~18:00
定休日:水曜日
■サウンド風雅のホームページ
https://www.soundfuga.jp