創業80年の豆腐屋が火事に……「地元の宝」を守るため割烹店が決意
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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
例年、2月~3月にかけて引っ越しシーズンがピークを迎えますが、今年(2021年)はどうなのでしょうか?
作家の丸谷才一さんは引っ越し先を探すとき、その町の豆腐屋さんの味を確かめて「よし、ここだ!」と決めたそうです。
「うまい豆腐がある町は、水がいい」……これが丸谷流、いい町の探し方でした。
愛知県岡崎市の「原田豆腐店」は創業80年。3代目のご主人・原田学喜さんは、母親と姉、妻の3人と一緒に45年間、おいしい豆腐をつくり続けて来ました。
原田さんが使う大豆は、地元産の「ふくゆたか」。豆乳に混ぜる「にがり」の絶妙な量や混ぜ加減によって、出来上がる豆腐の糖度は14~15度となり、フルーツのような甘さ。何もかけずに食べられる美味しさです。
その味は評判に評判を呼んで、学校給食、地域の飲食店、スーパー、病院などへ卸して来ました。
この「原田豆腐店」の豆腐を使う「寄せ豆腐」を看板メニューにしているのが、地元の割烹「魚信(うおのぶ)」さん。地元の旬の魚介を使った30種類ほどの釜飯で有名なお店です。
「魚信」2代目のご主人・西田耕一さんは、53歳。10歳年上の「原田豆腐店」の原田さんを兄貴のように慕う関係です。両方の店は、お互いの親の代からの付き合いでした。
この「魚信」さんに1本の電話が入ったのは、去年(2020年)の8月15日、昼過ぎのことでした。西田さんは当日のことを振り返ります。
「びっくりしました。原田さんから電話で、『明日の豆腐はできない』と言われたのです。とてもあわてた様子で、何ごとかと思って聞いてみると、店が火事。しかもまだ燃えている最中だと言うのです!」
出火の原因は、生揚げを揚げるフライヤーの消し忘れ。律儀な職人の原田さんは、燃え盛る炎を見ながらも「明日の納品」のことが胸をよぎったのでしょう。
「原田さんの豆腐は地元・岡崎の宝だ!」と言い切る西田さんの胸には、この宝物をなくしてはいけないという熱い想いが、ふつふつと湧いていました。
「ちょうど1週間ほど前でした。『あと10年くらいはこの豆腐をつくりたい』と、豆腐を納めに来た原田さんが言っていたのです。その願いをかなえる方法はないものか……と考え始めました」
こう語る西田さんが出した提案は、「豆腐をうちの店でつくるから教えて欲しい」というものでした。失意のどん底のはずの原田さんは、それでも「いいよ」と、週に2~3回ほど「魚信」に通って豆腐づくりを教えてくれました。
「でも、いくら教わっても、原田さんの豆腐の味はどうしても出なかった」
そう振り返る西田さんは、思い切って次の案を出したそうです。
「ねぇ原田さん、みんなで応援するから、もう1度『原田豆腐店』を再建してみませんか?」
ひとたび途切れた職人の夢は、そう簡単には修復できなかったと言います。1度、2度と頼んでみてもダメでした。3度目、4度目に頼んでやっと、原田さんの方から条件が出されました。
「2~3年じゃダメだ。長く続けなければ意味がない。後継者をつけてくれるなら、もう1度やってみてもいい」
西田さんは「魚信」本店の店長と、自分の息子さんに白羽の矢を立てました。「どうだ? 豆腐づくりを勉強してみないか?」と聞いたところ、2人の返事は「わかりました!」だったそうです。
こうして2020年11月26日、『原田豆腐 復活プロジェクト』がスタートしました。再建資金はザッと見積もって900万。そのうち機械購入の300万は、クラウドファンディングによって集めてみようということになりました。
原田さんの豆腐のファンは想像以上に多く、そして熱く、1月の締め切りを待たずに数日で目標額を達成したそうです。
「いやぁ、皆さんの期待が大きすぎてプレッシャーです。でも、もう1度豆腐をつくれるのはうれしい」と、原田さんはつぶやいたと言います。
新生「原田豆腐店」は、「魚信」の駐車場の一画に、2月11日に開店します。
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