東ティモールのラジオ番組で「日本語」に熱視線……なぜ?
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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
80年前の12月8日、旧日本軍はハワイ・真珠湾を攻撃しました。ほぼ同時に東南アジアにも兵を進め、当時の欧米列強の植民地を占領して行きました。その地域の1つに、いまの「東ティモール」があります。
東ティモールはインドネシアの東、ティモール島の東側にあって、日本の東京・神奈川・千葉・埼玉くらいの広さに、およそ130万人が暮らしています。この地域は戦後もポルトガル領とされ、その後はインドネシアが占領。そして2002年、国連の主導でようやく独立を果たしました。
この東ティモールで、2005年から暮らしている1人の日本人女性がいます。丹羽千尋さん・43歳。横浜出身で、東京都内の大学を卒業後、NGOなどに所属しながら東ティモールの「国づくり」に携わって来ました。
丹羽さんの学生時代は、テレビ番組『進め!電波少年』が流行っていたころ。自然と「日本とは全然違う国の人々」に興味をおぼえるようになりました。そんなとき、NGOの知り合いから「東ティモールへ行ってみないか?」と誘いを受けます。しかし、当時のインターネットに東ティモールの情報はほとんどありません。
「よくわからないのなら自分で行って、この目で見てみよう!」
丹羽さんが東ティモールで最初に取り組んだ仕事は、ビーズのアクセサリーづくりをサポートする仕事でした。それまで農業しかして来なかった地元の女性に、「内職」のきっかけをつくるのが目的です。
しかし丹羽さんは、地元の人たちが話す「テトゥン語」を覚えるだけでいっぱいいっぱい。思うようにコミュニケーションが取れず、人前で涙を流した日もありました。すると、東ティモールのスタッフの方が耳打ちしてくれたそうです。
「人前で泣くと、この国では自分が悪いと認めていることになる。泣くんじゃない」
「もう泣かない」と決めた丹羽さんは、その後も語学力を買われ、中古車の販売・整備や植林、コーヒー事業など、さまざまな仕事に従事。気が付けば、東ティモールでおよそ15年の月日が経っていました。
丹羽さんはいま、NGO活動の一環として、東ティモールのラジオ局で英語の教育番組の制作に取り組んでいます。東ティモールでは高校や大学を出ても、就職できる人は2割ほど。家で勉強しようにも、テトゥン語の本はほとんどありません。
一方、インターネットの速度は遅く、高い料金がかかります。何とか就職や留学に役立つ「英語」を学べる機会をつくろうと、無料で聴くことができる「ラジオ」に白羽の矢が立てられました。
しかし、東ティモールのラジオに教育番組はほとんどありません。日本の公共放送の関係者にアドバイスを受けつつ、地元スタッフと一緒に、ゼロから番組の制作ノウハウを学んで行きました。
いまはコロナ禍でロックダウンが行われたため、制作が遅れていますが、近いうちにさまざまな日常シーンの英会話を学べる番組として、形になりそうです。
時を同じくして、丹羽さんはボランティアの日本語教室も始めました。東ティモールでは、日本への技能実習生制度の設置協議が始まったと伝えられてから、日本語への関心がとても高まっているのです。真剣な生徒たちの眼差しに、丹羽さんもやりがいを感じています。
そんな丹羽さんの姿を見た、仕事でつながりのある地元ラジオ局の方が声をかけて来ました。
「今度、うちの番組で日本語のコーナーをやってみない?」
番組名は「ハディア・フトゥール」……“よりよい未来へ”という意味の若者向けの情報番組です。丹羽さんは半年ほど前から、ラジオ番組をつくるだけではなく、日本の歌を紹介したり、日本語講座のコーナーにも出演しています。
「まさか、東ティモールに16年もいるなんて思いもしませんでした。苦しくてもいつも明るく、前向きな東ティモールの人たちから学ぶことも多いです」
そう話す丹羽さんが、一緒に「国づくり」に取り組む東ティモールの人たちに、かけ続けている言葉があります。
「『できません』ではなく、いまが『できる』への道なんだということです。他のどの国も通って来た道であり、私たちだってきっと『できる』と思います」
2022年で独立から20年を迎える東ティモール。国を越えてお互いに学び合いながら、他の人や国、言葉を知ることが、きっと平和な世の中に通じるはず。丹羽さんはそう信じて、きょうも教壇に立ち、マイクの前に座ります。
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ