『春の小川』復活のため……「渋谷川」再生に追い風の兆し
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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
東京・渋谷区にお住まいの石井健蔵さん・57歳。NPO法人「渋谷川ルネッサンス」の事務局長を務めています。
石井さんは、地元の小学校でPTA会長を務めたことをきっかけに、渋谷区が「春の小川」の舞台だったことを知り、この取り組みに参加しました。
渋谷川には、新宿御苑を水源に、いわゆる「裏原宿」を流れる隠田川と、井の頭通りに沿って流れる宇田川という大きな2つの支流があります。この宇田川の、そのまた支流に当たるのが、春の小川の舞台「河骨川」。しかし、いずれの支流も1964年の東京オリンピックを前に、蓋をされてしまいました。
「渋谷川ルネッサンス」は、渋谷川を再び日の光を浴びて流れる川として再生・復活させようと、2002年から活動しています。立ち上げたのは、かつての建設省で河川局長を務めた尾田栄章さん。尾田さんは、水の研究をライフワークとされている天皇陛下の相談役を務めていることでも知られます。
20年前、「渋谷川の復活」をかかげて活動を始めた当時は、地元の皆さんから強い反発を受けたそうです。蓋をされた川の上にできた生活道路や商店街は、40年の間に、地域の暮らしに欠かせない存在となっていたからです。
そこでまずは、いまも一部地上に見えている、渋谷川のコンクリートで固められた護岸を少しでも自然に近づけるため、「溶岩パネル」を護岸に貼り付ける活動から始めました。溶岩の小さな穴に草の種が付くことで、再び護岸の緑がよみがえるというわけです。さっそく取り組みは話題となり、小学校の教科書にも取り上げられました。
地道な活動が少しずつ実を結んできた矢先、「渋谷川ルネッサンス」をも揺るがす、大きな出来事が起こります。
2011年の東日本大震災。代表の尾田さんが、福島県広野町で復興事業に従事するため、東京を離れることになりました。尾田さんからは、「石井さんに任せましたよ。細く長くやっていきましょうね」と言われたそうです。
石井さんは、いままで以上に活動に力を入れて取り組みました。それというのも、石井さんがPTA会長を務めていた小学校の学区には、高野辰之さんのご家族がいまもお住まいで、お孫さんは小学校の卒業生でした。
「これも何かのご縁に違いない。春の小川を少しでもよみがえらせていこう!」
ほどなく、2020年の東京オリンピック開催と新しい国立競技場の建設が決まります。実は国立競技場は、渋谷川の上に建てられています。それが建て替えられるとなれば、基礎から工事をやり直すわけですから、「渋谷川復活のチャンス到来」と一気に胸が高鳴りました。
しかし、その期待に反して、発表された新しい国立競技場の設計案に石井さんは唖然とします。いままでの敷地面積を大きく上回る、奇抜な建物……幻の「ザハ案」でした。
「こんな建物ができたら、渋谷川は跡形もなく潰されてしまう」
石井さんは建築家の皆さんと一緒に、東京都やスポーツ団体に意見書を提出。結局、ザハ案は建設費の高騰を理由に、白紙撤回に追い込まれました。そして、新たな隈研吾さん設計の国立競技場では、渋谷川の流れを復活させる計画が盛り込まれました。
現在、新しい国立競技場の前を訪ねると、Bゲート近くに、およそ70メートルにわたって小さな水の流れがあります。実はこれが、昔の渋谷川をほんの少しだけ復活させたものだそうです。
当初はもっと長く復活させる計画でしたが、メディア用の駐車場がないという理由で、大部分は再びコンクリートで塗り固められてしまいました。でも、石井さんは諦めていません。
「東京都は、2040年までに玉川上水を復活させると言っているんです」
以前の渋谷川は、四谷の大木戸まで流れてきた玉川上水の余った水が合流して、川の流れとなっていました。元の流れが復活するのなら、渋谷川だってもっと復活できるはず。そう信じる石井さんは、世論の追い風も感じています。
「この20年で、川の復活・再生に肯定的な人が増えたのが本当に嬉しいです」
「春の小川」の復活は、歌のようにサラサラとはいきませんが、一歩一歩着実に進んでいます。
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