それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
岐阜県恵那市、JR中央本線の恵那駅から分かれる明知鉄道は、1985年に旧国鉄の明知線を受け継いだ第3セクターの鉄道です。恵那・明智間、全長25.1キロに11駅があり、小さな1両のディーゼルカーが約50分をかけて、単線の線路を行ったり来たりしています。
始発の恵那駅はJRの大きな駅舎の片隅にあって、常にいる駅員さんはわずかに1名。切符の販売、出札、無人駅からのお客様の精算や、1時間~1時間半おきに走る列車の合間に、駅のホーム、待合室、トイレなどの掃除まで手掛けます。
そんな明知鉄道の臨時職員として2020年から恵那駅に勤務しているのが、尾関辰哉さん・50歳です。
尾関さんは小さいころから、恵那駅の近くで明知線の蒸気機関車を見て育ちました。黒い機関車が白い蒸気を上げながら、動いたり停まったりする様子に心が躍ります。程なく汽車からディーゼルカーに代わっても、鉄道熱が冷めることはありませんでした。
江戸時代から続く「はんこ屋さん」の14代目でもあった尾関さん。25歳で旧・中山道沿いにあったお店を継ぎました。印鑑の販売はもちろん、恵那を代表する産業・段ボールの印刷なども手掛けていました。小さいながらも手堅い経営で、会社は順調にレールの上を走っていたかに見えました。
しかし2020年2月、大きな仕事を受注したばかりの尾関さんを、コロナ禍が襲います。中国の工場が操業を止め、期日までの納品が叶わず、大きな受注はキャンセル。追い打ちをかけるように仕事の依頼もパッタリと止みました。
金融機関から思うような融資も受けられず、資金繰りは日に日に悪化していきます。支えてくれた従業員1人1人の顔が、浮かんでは消えていきました。
「自分はいま、生きていてもいいのだろうか?」
思わずそんな気持ちがよぎりました。そんな尾関さんを見かねた弁護士さんが、1つの提案をしてくれたそうです。
「廃業しましょう。いまならまだ、従業員の皆さんに退職金をお支払いできます」
コロナの流行からわずか2ヵ月、尾関さんは江戸時代からの家業に幕を下ろしました。
廃業した尾関さんですが、経営者には失業保険がありません。一刻も早く働きたいと、通っていたハローワークで1枚の求人票に目が止まります。
「臨時職員募集 明知鉄道株式会社 若干名」
尾関さんの脳裏に、小さいころ恵那駅で見た蒸気機関車の風景がよみがえりました。尾関さんは、人生の複雑に入り組んだポイントの向こうに、新たな2本のレールが見えたような気持ちになります。
「どうしても稼がなくてはいけないときに、大好きな鉄道の仕事に出逢えるなんて……絶対に受けて、また自分も走り出したい!」
面接では小さいころから鉄道が好きなこと、いま置かれた境遇を熱く訴えて、見事採用。尾関さんが小さいころから慣れ親しんだふるさとの駅で、新しい生活が始まりました。でも、趣味としての鉄道と、仕事としての鉄道は大違い。駅員さんの仕事も、まるで鉄道ダイヤのように細かい作業行程が決まっていました。
しかし、新しい仕事に慣れ始めた尾関さんを、今度は病魔が襲います。廃業から就職まで多くの心労を重ねたせいか、不調を訴えて病院へ行くと、即入院。慢性腎不全の診断を受け、週3回の人工透析が必要な体となりました。解雇も覚悟しながら会社に病気を報告すると、思わぬ言葉が返ってきました。
「体と相談しながら、できる範囲で、いままでと同じように改札に立ってもらえませんか?」
尾関さんは恵那駅の改札に立つと、1人1人のお客様に声をかけていきます。何度も「おはようございます」と声をかけているうちに、最初ははにかんでいた通学の女子高生も、だんだんとあいさつを返してくれるようになりました。通院などで利用する年配のお客様には、できるだけ美濃の方言で話しかけます。
「お久しぶりに“やっとかめ”やったね」
尾関さんは最近、小学生のときに埋めたタイムカプセルを開封する機会がありました。夢には「恵那からリニアモーターカーに乗って、東京に行く」と書いてあったそうです。実は現在、恵那駅の1駅隣にリニア中央新幹線の駅が計画され、工事が進んでいます。
「恵那からリニアで東京へ行く夢を叶えるためにも、健康に気を付けながら、大好きな鉄道を通してふるさとに貢献したいんです」
きょうも恵那駅には、気動車のカラカラとしたアイドリングの音に負けない尾関さんの元気なあいさつの声と、きっぷを切る鋏の音が響き渡ります。
番組情報
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