池袋大乱闘騒ぎ 準暴力団「チャイニーズドラゴン」台頭の背景
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ジャーナリストの佐々木俊尚が10月18日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。10月16日に池袋の高層ビル「サンシャイン60」にある飲食店で起きた乱闘騒ぎについて解説した。
準暴力団「チャイニーズドラゴン」
東京・池袋の高層ビル「サンシャイン60」の58階にある飲食店で10月16日に起きた乱闘騒ぎは、準暴力団「チャイニーズドラゴン」のメンバーらが関与していたことが明らかになった。チャイニーズドラゴンは2013年に警察庁が「暴力団に準ずる反社会的勢力」と位置付けた準暴力団の1つで、中国残留孤児の子や孫らが中心となってメンバーを構成しているとされる。
飯田)「チャイニーズドラゴン」あるいは「怒羅権」という名前を久々に聞いた気がします。
佐々木)私がこの手の取材をしていたのは20年以上前なので、最新情報をあまり知らないのですけれど、なぜ「怒羅権」等が台頭してきたのかという経緯は、当時よく取材していたので知っています。
飯田)なぜ出てきたのか。
佐々木)もともと東京の池袋と歌舞伎町は暴力団の本拠地で、そこを支配していたのは住吉会や稲川会という東京の暴力団でした。1992年に暴力団対策法ができて、暴力団への締め付けが厳しくなり、構成員も減ってきて、90年代になると活動できなくなっていくのです。その間隙を縫うかのように「反社・半グレ」と言われるような反社会的勢力が増えてきて、そのなかの1つが「ドラゴン」なのです。
飯田)反グレ。
佐々木)他にも「関東連合」のように日本人だけで構成されている半グレもあり、ベトナム系のものなども含め、いくつかあります。
多くの中国残留孤児の2世で構成されている「チャイニーズドラゴン」
佐々木)「チャイニーズドラゴン」の問題は、この人たちは日本人なのだけれど、中国残留孤児の2世が多いのです。
飯田)中国残留孤児の2世が。
佐々木)70年代~80年代ぐらいにかけて、中国に置き去りにされた子どもたちが次々に帰国します。彼らは日本語があまり話せないこともあり、社会のなかではじかれていました。その2世たちが日本社会に対する反感から、こういう組織をつくって自分たちの存在を誇示するようになったのです。
飯田)日本社会に対する反感から。
佐々木)日本の排他構造に対する後ろめたさのようなものがあって、警察もメディアもあまり強く批判できなかったところがあるのです。
締め付けが厳しくなるとアンダーグラウンドな社会が生まれる ~コントロールできない
佐々木)そのなかで勢力を伸ばしていったという背景があります。暴力団がなくなっていき、逆に半グレが増えていくというのは、ある意味、アンダーグラウンドなところは社会に必ず存在するわけです。そこを厳しく締め付けすぎると、コントロールできない、アンコントローラブルなものが増えていく。
飯田)より地下に潜ってしまう。
佐々木)アメリカが1920年代に禁酒法を施行したら、アル・カポネが出てきたのと同じようなものです。
飯田)そうですね。
佐々木)最近だとAV新法ができて、AVの撮影が取り締まられるようになった。そうすると「同人AV」のような、アングラなAVが増えてしまうことが指摘されています。常にアングラなところは社会に必ずあるし、どんなに社会が進んでも消えはしません。そこを無理やり締め付けると、結局「そこからあぶれて地下化するものが増えてしまう」という構造と同じだと思います。
90年代にはチャイニーズマフィアが日本に流れ込み混乱
佐々木)90年代に暴力団が減ったあと、中国の深圳や上海から、当時はリュウマン(流氓)と呼ばれていましたが、いわゆるチャイニーズマフィアが流れ込んできました。90年代半ばくらいの歌舞伎町は大混乱でした。
飯田)そうでしたね。
佐々木)そんな時代もありましたから、その流れがいまだに続いているということではないでしょうか。
飯田)(乱闘騒ぎは)出所祝いだったという話です。
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