中国・江沢民元国家主席が死去 「習近平政権に相当な恨みを募らせたうえの“憤死”ではなかったか」辛坊治郎が持論を展開

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キャスターの辛坊治郎が12月1日、自身がパーソナリティを務めるニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に出演。11月30日に96歳で死去した中国の江沢民元国家主席について、「現在の習近平政権に相当な恨みを募らせたうえの“憤死”ではなかったか」と持論を展開した。

中国・江沢民元国家主席が死去 「習近平政権に相当な恨みを募らせたうえの“憤死”ではなかったか」辛坊治郎が持論を展開

第19回中国共産党大会の開幕式に臨む習近平総書記(右)と江沢民元総書記=2017年10月18日、北京の人民大会堂(共同) 写真提供:共同通信社

中国の江沢民元国家主席が11月30日、病気のため上海で死去した。96歳だった。毛沢東や鄧小平に続く世代の指導者として、「社会主義市場経済」を掲げて共産党による一党支配の下での市場経済化を推進し、2001年の世界貿易機関(WTO)への加盟を果たした。

辛坊)江沢民元国家主席については、日本での評判は悪かったですね。1998年に中国のトップになった後、訪日して宮中晩餐会に出席した際に歴史問題に言及し、日中関係にしこりを残したことも要因の1つです。江氏はまた、国家や党の求心力を維持するため「愛国主義教育」を推進し、「抗日戦争」に関する施設を多数建設したことにより、中国世論の対日感情が悪化したことも影響しています。

中国の歴代トップといえば、「共産中国建国の父」と呼ばれるのが毛沢東氏です。ただし、毛氏は文化大革命を発動し失敗しました。知識階級を次々と粛清し、建国の原動力を失ってしまったためです。これにより大勢の餓死者を出しました。その毛氏の跡を継いだのが鄧小平氏です。鄧氏は、民主化を求める学生を中心とするデモ隊を武力で抑え込み、多数の死傷者を出した1989年の天安門事件当時の最高指導者です。国家主席には就きませんでしたが、党中央軍事委員会のトップであるカリスマ権力者でした。

その党中央軍事委員会のトップを鄧氏から引き継いだのが江氏です。江氏は上海市長、上海トップの市党委員会書記も兼任しました。天安門事件の際には、上海での民主化運動を抑え込んだことを評価され、大抜擢されました。つまり、民主化運動を潰したからこそ、鄧氏に引き上げられ出世したわけです。江氏は日本で高く評価されていますが、よく考えてみれば、かなり無茶な人だったともいえます。

一方、今の中国があるのは鄧氏のおかげだといっても過言ではありません。毛氏の時代に大勢の餓死者を出した中国に社会主義市場経済を導入することによって、国を建て直したからです。その鄧氏の路線を継承し、さらに中国の経済を発展させたのが江氏です。「共産主義の国は労働者と農民が生産手段を共有して発展する」という原則を崩し、今の経済発展の基礎をつくったわけです。ですから、現在の中国の原型をつくったのは江氏だといえます。江氏はアメリカとの関係も改善させました。

江氏は、胡錦濤氏に体制が世代交代してからも、背後で権力を持ち続けました。そして、現在の習近平体制が生まれるときにも裏で糸を引きました。ですから、習体制をつくったのは江氏なのです。ところが、習体制になると、江氏の関係者は次々に汚職で排除されました。ですから、江氏は晩年、習氏に対し、はらわたが煮えくり返っていたと思いますよ。気持ちとしては“憤死”だったかもしれませんね。最期は相当な恨みを現政権に募らせて亡くなったのではなかろうかと思われます。

番組情報

辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!

月~木曜日 15時30分~17時30分 

番組HP

辛坊治郎さんが政治・経済・文化・社会・芸能まで、きょう一日のニュースの中から独自の視点でズームし、いま一番気になる話題を忖度なく語るニュース解説番組です。
[アシスタント]増山さやかアナウンサー(月曜日~木曜日)、飯田浩司アナウンサー(木曜日のみ)

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