それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
さくらんぼ、りんご、ラ・フランスなど、全国有数のフルーツ栽培が盛んな県・山形。人気を誇る果物はたくさんありますが、「レモン」をつくっている方はほとんどいません。
そもそもレモンは、冬は温暖で、夏に乾燥する地域が栽培に適しているとされています。冬は雪が降り、厳しく冷え込む山形では、まず収穫できないと考えられてきました。
その山形市で果敢にレモン栽培に挑むのが、石岡浩明さん・62歳。石岡さんは、米の専業農家を営んでいたご両親のもとに生まれますが、農作業の大変さに嫌気がさし、大学進学とともに山形を飛び出して首都圏で就職します。その後は、まったく畑違いのメーカーの営業マンとして各地を飛び回っていました。
ちょうど茨城県・つくばに住んでいた、いまから15年あまり前。45歳を迎えた石岡さんは、何か新しいことに取り組みたいと思っていました。その矢先、息子さんが学校から持ち帰ってきた「ブルーベリーの木のオーナーになりませんか?」という1枚のチラシに目が止まります。
「ブルーベリーは皮をむく必要もないし、簡単に食べられる。やってみようかな」
石岡さんは早速、1本のブルーベリーの木のオーナーとなり、収穫の楽しみを知ります。そして、日に日に「ブルーベリーをもっと育てたい」という気持ちが膨らんでいきました。幸い、山形の実家には昔、ご両親がお米をつくっていた農地がありました。2011年、石岡さんは51歳で山形へ戻り、ブルーベリーづくりに乗り出します。
石岡さんはまず、地元の農業大学校や園芸試験場に通って農業のイロハを学びながら、全国のブルーベリー農家を訪ねてつくり方を学び、無農薬栽培での商品化に成功します。さらに、パッションフルーツの無農薬栽培にも取り組んで、出荷にこぎつけました。そんな話を聞いた1人の男性が、ある日、石岡さんのもとを訪ねてきました。
「石岡さん、レモンをつくってくれませんか?」
そう言ってきたのは、がんを患って療養中の地元の方でした。訊けば、無農薬の食材をすりおろしたジュースを日課で飲んでいると言います。無農薬のりんごと人参は地元の農家で揃いますが、無農薬のレモンは入手困難。そこで、無農薬でパッションフルーツをつくっていた石岡さんを訪ねてきたそうです。
石岡さんは「レモン」と聞いて一瞬、体が固まりました。「レモンは南の方で採れる果物」……石岡さんもそう信じて疑いませんでした。
しかし、調べてみると東京の八丈島に、比較的寒さに強い「八丈レモン」という品種があることがわかりました。さっそく石岡さんは八丈島からレモンの木を取り寄せて、半信半疑ではありましたが、無農薬栽培にチャレンジすることにしました。
1年目の2014年は、茂りだした葉っぱがすぐ真っ黒になってしまいました。レモンの甘酸っぱい香りに誘われたアブラムシやアゲハチョウの幼虫たちが、あっという間に群がってしまったのです。当然ながら、収穫はゼロに終わりました。
それでも、めげずに2年目も挑戦。細心の注意を払いながら、ビニールハウスにわずか2個ではありますが、やっとのことでレモンの実がなりました。
「山形でも本当にレモンが採れるんだ!」
自信を持った石岡さんは、少しずつレモンの作付けを増やしていきます。無農薬栽培ですから、暖かくなると虫たちはすぐに寄ってきますが、高圧の水を木にかけて虫を落とし、自然素材由来のオイルを塗って虫よけにします。
一方、冬の寒さは雪が味方して乗り越えられることもわかってきました。雪がやんで太陽が顔を出すと、日光に加え、積もった白い雪に反射した光も差し込んで、特別な二重のビニールハウスは温度が40度近くまで上昇。ぽかぽかのハウスのなかで、皮まで食べられる瑞々しいレモンが収穫のときを迎えます。
そんな東北の自然の恵みと、石岡さんの愛情をたっぷり受けて育まれたレモンに、知り合いの方が『雪国レモン』と名付けてくれました。この冬は、過去8年で最高となる900個近くを収穫。石岡さんも「レモンの木が年々寒さに強くなっていると感じる」と言います。
最近は、地元・山形で農業に従事する若い人たちも、しばしば石岡さんのハウスへ見学にやって来るようになり、将来にも希望の光が見えてきました。
「雪国レモンを山形の特産にしたいんです。そのために、つくる人もコラボした商品も、もっともっと増やしていきたいんです!」
そう夢を語る石岡さんの声は、まるで甘酸っぱい青春時代のように弾んでいます。
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