東日本大震災から12年。福島県富岡町の移住事業について新行市佳アナウンサーが取材、3月6日のニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」でレポートした。
自らの移住体験を活かして富岡町の移住相談を受ける
新行市佳アナウンサー)東日本大震災から12年が経ちました。今回、実際に福島県富岡町へ移住された辺見珠美さんにお話を伺いました。辺見さんは富岡町役場から民間委託を受けて移住事業を行う「一般社団法人とみおかプラス」に籍を置いていらっしゃいます。現在は2022年3月に開設された富岡町移住相談窓口「とみおかくらし情報館」で、自らの移住体験を活かしながら移住を検討する方々の相談を受けていらっしゃいます。
飯田)自らの移住体験を活かして。
新行)辺見さんは大学を卒業し、福島県の川内村に4年、いわき市に3年居住されて、そのあと富岡町に移住しました。富岡町での移住歴は3年ほどになります。辺見さんはもともと東京のご出身ですが、大学時代、原子力や放射線に関する勉強をしており、2011年に東日本大震災が起きたときには、就職活動中だったそうです。まさに2011年2月には、福島第一原発の就活生向けの見学会にも訪れていたそうです。
飯田)原発関連の方面で就活していたのですね。
新行)就職しようと思っていたそうです。
飯田)なるほど。
新行)ただ、福島第一原発事故が起きた影響で、就職活動は頓挫してしまいました。その後、福島県内で放射線測定ボランティアに参加したり、富岡町から東京へ避難した子どもたちへの学習支援などをお手伝いし、そこで富岡町の方々とのつながりができていったそうです。
福島大学のサテライトの放射線担当職員募集に応募し、就職 ~2020年から富岡町に移住
新行)全町避難になっていた富岡町の隣にある川内村で、福島大学のサテライトが放射線担当の職員を募集していることを知り、「これは自分にぴったりなのではないか」と考え、就職を決めたとのことです。
飯田)放射線担当の職員に。
新行)学生時代の富岡町との関わりが、辺見さんの移住につながっていきました。放射線担当職員の任期を終えていわき市に移り、2020年から現在の富岡町に移住されています。
子ども食堂の存在で地域のコミュニケーションが活発に ~戻ってきた人も新しく移住した人も関係なく、「町をよくしていこう。つくっていこう」という空気になっている
新行)富岡町での現在の生活ですが、辺見さんは「震災や事故の影響でなくなったものも多いけれど、それを補うような地域活動をするのが楽しいのです」とおっしゃっていました。例えば子ども食堂ですが、いまお子さんたちが通う学校にはPTAがなく、お父さん・お母さん同士のコミュニケーションを取る場所が少なかったそうです。そこで、地域の人と連携して子ども食堂を一緒につくったことで、幅広い年齢層の人が集まるようになり、地域のコミュニケーションが活発になったそうです。
飯田)子ども食堂をつくったことで。
新行)辺見さんの周りには「自分たちで町をつくっていこう、何か挑戦してみよう」という雰囲気があり、活発化しているということです。避難から戻って来られた方の町への愛着も強いので、戻ってきた人も新しく移住した人も関係なく、「町をよくしていこう。つくっていこう」という空気になっているとも話していました。
飯田)なるほど。
新行)辺見さんは現在、川内村・いわき市・富岡町と3つの地域の移住を経験したことを活かし、移住を検討している方の相談を受けるお仕事をしています。移住相談を受けるなかで感じた町の変化について、このように話していました。
大学生のときに町との接点や思い出をつくってもらう ~未来への種まきになるような事業を展開していきたい
-----
辺見)町の変化としては、以前はボランティアや復興など、外から来る人は「支援」というフェーズだったと思うのです。それが徐々に「面白そう」と感じる人が増えてきたのではないかと思います。
新行)いま富岡町に住んでいて、「こうなればいいな」というポイントはありますか?
辺見)いまは若い方が少ないのです。若い方は、何かのきっかけがないと富岡町への移住を選択しようと思いません。私自身の経験でもそうなのですが、大学生など、若いときに地域との関わりを持つことは大きいと思います。
新行)若いときに。
辺見)隣の楢葉町でも、大学のときにボランティアやサークルで来ていた子たちが卒業後に移住したり、または卒業して就職したけれど、そこを辞めて移住したというケースが少なくありません。そういうケースや自分の経験からも、学生のうちに町との接点や思い出をつくってもらうことを進めたいと思います。
-----
新行)辺見さんご自身も、大学時代に福島県や富岡町と接点を持ったことが移住につながった部分もあるので、若い人たちに訴えていきたいという気持ちが強いようです。インターンや観光などが関係すると思うのですが、まずは富岡町を見てもらう、知ってもらう、楽しんでもらう。いますぐではなくても、それが未来につながっていったり、「未来への種まきになるような事業を展開していきたい」とおっしゃっていました。
ホープツーリズムへの取り組み
飯田)浜通り全体でも「ホープツーリズム」というツアープログラムを組んでいます。いろいろなところを回って、福島第一原発で何が起こったのか、展示などを見てもらいながら、町がこれから変わっていくことを見せるという取り組みです。
新行)そういうところをきっかけにして、まず富岡町を知ってもらう、感じてもらうことが第1歩になるのだろうと感じました。
移住のシミュレーションができる「お試し住宅」
新行)移住事業の取材で面白いと思ったのが、「お試し住宅」というものです。これは移住を考えている人が、富岡町の暮らしを実際に体験できる施設になっています。なかを見せてもらったのですが、一般的な家なのです。そこに何日間か宿泊してもらい、実際に住んだときのシミュレーションができるという場所です。
飯田)試しに暮らすことができる。
新行)さらに「利用したい」という注文が入ったときは、オーダーメイド的にプログラムをつくり、それを体験してもらうのです。例えば「移住するにあたって、こども園や学校はどうだろう?」と思っている人には、実際に学校やこども園に行き、先生と話すこともできます。移住するにあたって不安に思っていることなどを解消できるようなプログラムを組み、それを体験してもらっているということです。
飯田)地域を変えるためには「若者・バカ者・よそ者」の力が必要だと東国原さんが言っていましたが、「若者でよそ者の人たちが入ってくると町が活性化する」と言われます。逆に東日本大震災もあって、「いろいろなものを一からつくらないと」というところで、ある意味のフロンティアとして若い人が飛び込む魅力があるのかも知れませんね。
番組情報
忙しい現代人の朝に最適な情報をお送りするニュース情報番組。多彩なコメンテーターと朝から熱いディスカッション!ニュースに対するあなたのご意見(リスナーズオピニオン)をお待ちしています。