福島県双葉町で震災を語り継ぐ「21歳の語り部」の復興への思い

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東日本大震災から12年。「震災を語り継ぐ」ということを職業に選択した、地元の若い語り部を新行市佳アナウンサーが取材。3月8日のニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」でレポートした。

福島県双葉町で震災を語り継ぐ「21歳の語り部」の復興への思い

東日本大震災・原子力災害伝承館が開館し、展示物を見学する来館者たち=2020年9月20日午前、福島県双葉町 写真提供:産経新聞社

「東日本大震災・原子力災害伝承館」

新行市佳アナウンサー)双葉町は避難指示の対象になった原発周辺の自治体のなかで、2022年8月、最後に一部地域で住民の帰還が始まりました。町の85%が帰宅困難区域で、2023年2月28日現在、居住している住民は60人あまりに留まっています。

飯田)60人ほど。

新行)そんな双葉町には、「東日本大震災・原子力災害伝承館」があります。福島が復興に向き合ってきた資料を収集して保存し、展示することを目的とした施設です。例えば、原子力発電所と地域の関わり方から紐解かれており、津波で基礎ごと流されたポストや、地震で変形した側溝の蓋など、震災のすさまじさを語りかけてくるものも展示されています。原発事故当時の緊迫したやり取りや、県民の皆さんの声、また専門家の方の解説映像を流すなど、わかりやすく丁寧に細やかに、除染作業やお米のスクリーニング検査についても解説されています。

飯田)「東日本大震災・原子力災害伝承館」で。

新行)最後の方になると、「復興への挑戦」というコーナーで締めくくられており、「空飛ぶクルマ」が展示されるなど、新たな産業基盤の構築を目指す国家プロジェクトの息吹が感じられる内容になっています。

飯田)浜通りは「イノベーション・コースト構想」もありますね。

新行)それについてもたくさん解説されており、展示もあります。

伝承館にはこれまで15万人以上が来館

新行)伝承館はコロナ禍の2020年9月にオープンしましたが、これまでの来館者は何と15万人を超えているそうです。

飯田)2年半くらいの間に。

新行)すごいですよね。伝承館では1日4回、語り部による被災の体験が語られています。所属する33人のうち、20代の若手の語り部は3人いらっしゃいます。

飯田)20代の語り部がいるのですね。12年前だと小学生や中学生くらいでしょうか。

伝承館職員の渡辺舞乃さん

新行)そのうちの1人、伝承館職員の渡辺舞乃さんにお話を伺いました。渡辺さんは現在21歳ですので、震災当時は小学3年生でした。自宅が原発から23キロの場所にあり、双葉町よりも北にある南相馬市の出身だそうです。山形県に4年生~6年生までの3年間ほど避難し、中学校入学と同時に南相馬市に戻り、旧避難区域にできた新設校「小高産業技術高校」に進学されました。伝承館で働くようになったきっかけ、そして語り部になった理由を伺いました。

「地元の復興に携われる仕事がいい」と伝承館に就職

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渡辺舞乃さん)私が通っていた学校があった地域は、震災から8年くらい経って、やっと避難指示が解除された場所でした。全然住民がいないところからスタートして、学校も新しく開校されたり、お店もまったくない状態で、学校自体がいろいろと「この町を活性化させよう」という取り組みをしていました。

新行)町を活性化させようと。

渡辺)具体的に言うと、震災の被害を思い出すためにフィールドワークに行ったり、新しくできるスーパーのお手伝いもしました。また、福島県は風評被害を多く受けたので、それを払拭するために、お弁当の開発を行いました。

新行)風評被害を払拭するために。

渡辺)「自分たちにできることはないか」と考えながら授業を受けていたので、就職するなら「地元の復興に携われる仕事がいいな」と思ったのが最初のきっかけです。それから伝承館ができるという話を聞いて、自分の経験や、自分が学校で学んだことを発揮できるなら、私は伝承館で働きたいと思い、就職しました。

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人前で話した回数は100回を超える ~20代の語り部は3人

新行)渡辺さんは学校の授業を通して、ずっと復興について考えてきたそうです。

飯田)学校の授業を通して。「小高産業技術高校」は南相馬市内でもかなり南の方で、浪江町との市境にあたるようなところです。私も警戒区域が解除されたくらいのタイミングで行きましたが、それまでは人も住むことができなかった地域ですからね。

新行)そうなのです。

飯田)まざまざと見せつけられた感じではありました。

新行)そこにある高校だからこそできることを考えて、それが授業に組み込まれていたということです。若い語り部は珍しいので、驚かれつつも「頑張ってね」と応援をもらうことが多く、語り部としての活動、人前に立った回数は100回を超えたそうです。

飯田)100回を超える。

新行)もともと人前で話すのは苦手だったそうですが、小学校を転校せざるを得なくなって辛かったこと、戻って来たときに町が暗くて寂しい様子だったことなど、震災の日から、子どもながらに感じたことを時系列で丁寧に話していると言っていました。先ほど、若い語り部は伝承館に所属する33人のうち3人とお伝えしましたが、伝承館に登録している語り部の多くは60歳以上の方々なのです。

震災を経験していない世代について ~12年が経ち「風化している」と感じる

新行)渡辺さんは、同世代の人たちに「語り部をしない?」と声を掛けたりするそうですが、「たいした経験がないからいいよ」などと言われることもあるそうで、なかなか同意する人がいないともおっしゃっていました。21歳の渡辺さんよりもさらに若い、震災を経験していない世代について、どう考えているのか聞いてみました。

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渡辺)まず私の弟が震災当時1歳で、生まれていて実際には経験しているのですが、まったく記憶がないようです。妹は震災後に生まれています。身近に震災を知らない世代がいますし、12年も経って「風化しているな」と、日に日に感じることが多くあります。

新行)風化していると。

渡辺)自分ができることとしては、伝承館で語り部を務めるだけでなく、外部の学校などに自分から訪問し、語り部として講演する機会があれば、自分より下の世代の子たちに伝えられるのではないかなと思っています。

新行)これまで、どこかの学校に訪問して話す機会はありましたか?

渡辺)ありません。伝承館に来館された小中学生の方々に話しているだけです。それ以外だと、長崎県に語り部として行ったり、岩手県の方に講演に行きました。

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新行)震災の記憶がある子どもは、いまの高校1年生や2年生がギリギリだと言われています。

飯田)高校1年生や2年生だと、16~17歳ぐらいになりますか。

新行)それくらいですね。

飯田)当時は3歳~4歳ということですね。

福島県の高校27校で行われている「震災と復興を未来へつむぐ高校生語り部事業」

新行)いま福島県では、27校の高校で「震災と復興を未来へつむぐ高校生語り部事業」と題した語り部育成事業を行っています。この事業の一環として、高校生が伝承館を訪ねて来るそうで、渡辺さんも意識が高いなと感じることがあるそうです。

飯田)なるほど。

新行)渡辺さんの言葉で印象的だったのが、「職場が伝承館ではなくなっても、語り部を続けていきたい。生きているうちは語り部をしていきたい」ということです。これからは熊本や神戸など、他の場所へも自分で足を運び、災害について勉強して伝えていきたいと話しており、使命感が感じられました。

表にあまり出てこない子ども世代の被災体験の思い

飯田)周りの若い人たちに声を掛けて、「たいした経験をしていないからいいよ」と断られてしまうことも多いということですが、むしろ子ども世代が経験したことなど、「どういう思いがあったか」は伝えられないことが多い気がします。

新行)子ども世代の経験は。

飯田)避難所などでは表向き明るく振る舞っていた子どもたちが、実はストレスを抱えていて、我慢しながら大人たちに気を使っている部分もある。そういうものが、ふとしたところで泣き出してしまったり、いろいろな場面で出てきたという話は、断片的に伝えられたりしています。しかし、「当事者たちがどう思っていたのか」はあまり出てきません。3月8日は「国際女性デー」ですが、被災地や避難所で、女性や子どもたちをケアしなくてはならないのに、少し頭のなかから外れてしまうことがあると思います。

新行)被災地や避難所では。

飯田)この辺りのケアはとても大事になるでしょうし、この先の視点だなと、いま思いました。

新行)そうですよね。「たいしたことは経験していないからいいよ」という言葉のなかに、「みんな大変だったから私なんて」という思いが、もしかしたらあるのかも知れません。ただ、経験したことを話すことで、今後に活きてくる可能性もありますし、だからこそ声を上げなくてはならないという渡辺さんの思いも、取材を通して伝わってきました。

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