ジャーナリストの佐々木俊尚が7月5日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。未だに1970年代の思想に影響されているマスコミの世界観について解説した。
いまのマスコミはなぜフラットな視点をなくしているのか ~団塊世代の思想や哲学抜きには語れない
飯田)佐々木さんは『現代マスコミの世界観は、1970年代に接続されたままになっている』というテーマを、音声プラットフォーム「Voicy」で語っていらっしゃいます。
佐々木)なぜマスコミが「中立でフラットな視点をなくしているのか」を考えると、「団塊世代の思想や哲学抜きには語れないのではないか」と最近思うのです。まず、団塊の世代はボリュームゾーンがとても広い。
飯田)確かに。
佐々木)最近、子どもが1学年で80万人を切ったと話題になっていますが、団塊の世代は1学年で約230万人いますからね。
団塊世代が若者だった60年代末~70年代、学生運動が盛んで世の中は騒然としていた
佐々木)3年~4年で1000万人以上いるというすごいボリュームです。なおかつ、「シルバー民主主義」などという言葉もある通り、新聞やテレビは団塊世代の世論に引きずられている部分もある。彼らにとっての思想の中心は、若者だった60年代末~70年代ごろです。当時は学生運動があり、世の中が騒然としていました。
飯田)70年安保の前後というと……。
佐々木)あさま山荘事件などがありました。
飯田)東大安田講堂事件なども。
「総中流社会」が完成し、「アウトサイダー」への憧れが生まれる ~日本赤軍に対する歓迎感も
佐々木)2022年に元日本赤軍の重信房子さんが出所しましたが、まるで王の帰還のように派手に歓迎されたではないですか。
飯田)ありましたね。
佐々木)いまの人から見れば「テロリストの親分なのに、なぜ歓迎するの?」という感じだと思いますが、当時の日本赤軍は変に格好よく見えたのです。ある種のアウトサイダーへの憧れのようなものが、70年代の日本にはありました。
飯田)アウトサイダーへの憧れ。
佐々木)いまは多分、そんな感覚はないと思います。どちらかと言うと「ドロップアウトしてはいけない」という恐怖心の方が、現代の日本社会では強いでしょう。
飯田)いまは。
佐々木)しかし、70年代は「総中流社会」のようなものが完成し、高度経済成長で豊かになり、「人生安泰で夢も希望もある」という時代でした。だからこそ、外れていく人に憧れるようなところもあったのです。
飯田)レールに乗るのは没個性などと言われた時代。
佐々木)「一生、つり革にぶら下がって会社に通うのか?」というような。いまならそちらの方が幸せだと思うのだけれど。映画もATG映画の『祭りの準備』や『青春の殺人者』などを若者が観たものです。
飯田)日本アート・シアター・ギルド。
佐々木)原田芳雄さんが若い人から「アウトローで格好いい」と言われるような時代だったのです。そういうアウトサイダーへの憧れが、日本赤軍への変な歓迎感にもつながっていたのだと思います。
飯田)暴力的であっても、現状をぶち壊していくことへの憧れ。
安倍元総理銃撃事件の犯人を「宗教2世」というような言葉で悲劇化していく ~70年代には暴力革命への肯定があった
佐々木)例えば、安倍元総理銃撃事件の犯人を「宗教2世」というような言葉で悲劇化していくような……あれなどは、まさにATG映画の世界です。そういうマインドがあり、半世紀を経て未だに引きずっている感じがします。
飯田)あの時期、世界的にもシンクロしたのが、文化大革命や造反有理というような。
佐々木)ベトナム戦争反対とか。
飯田)「反対することには理由がある。目的が手段を正当化する」というような考え方。
佐々木)ある種、暴力革命への肯定があったわけです。
メディアは外部から批判されないので、団塊の世代が持っていた世界観が凍結保存されているのでは
佐々木)もちろんメディアも世代交代して、もう団塊の世代などはいないのだけれど、メディアは外部から批判されないところがあります。ある種、その空気感や感覚、世界観が凍結保存されている感じがあると思うのです。
飯田)世代を越えて再生産されるような。
佐々木)外部の我々の世界と乖離していっているところがあるのかなと思います。
飯田)同調して、同じ価値観を持っている方が偉くなるようなところの。
佐々木)組織というのは、普通は外部からの圧力で変わっていかなければならない。でもメディアは批判されないので、変わらないのですよね。
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