それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
東京・秋葉原から総武線の黄色い電車で15分あまりの、23区最後の駅・小岩。江戸川を渡れば、すぐに千葉県市川市ですから、まさに東京の「端っこ」です。
小岩駅の改札を抜けると、昭和の名横綱・栃錦の銅像が待ち合わせスポット。駅前には現在もインベーダーゲームのある喫茶店があり、一歩街に入ればどこか懐かしい、まるで昭和のような商店街が続いています。
小岩で生まれ育った松岡サラサさん・50歳。松岡さんは大学を卒業後、映画や出版、ウェブサイトの制作などさまざまな仕事を経て、お父様の家業を継ぐため、山手から久しぶりに下町に戻ってきました。しかし、街の雰囲気に何となく違和感を覚えます。
「あれ? 小岩の街が静かだな……」
松岡さんが生まれ育った小岩の街は、かつて毎日が縁日のようでした。昼間の商店街では、まるで寅さんの映画のワンシーンのような言葉のやり取りがあり、夜の居酒屋ではビートたけしさんのような愛あるキツい言葉が乱れ飛んで、スナックからはカラオケの歌声が聞こえてくる、にぎやかな街でした。
かつて松岡さんがお世話になったお店の人たちと、久しぶりに会ってみました。すると、御主人や女将さんたちはみんな頭に白いものが多くなり、そのお子さんたちも会社勤めをしている人が多いと言います。
さらに、小岩駅周辺にも再開発の波が押し寄せており、いずれはタワーマンションが何棟も建って、商店街も近いうちになくなっていく……そんな計画も耳にしました。
「生まれ育った小岩の街に、にぎわいを取り戻したい!」
松岡さんは、居ても立ってもいられなくなりました。
松岡さんはまず「小岩に来てもらえる人を増やそう」と考えました。注目したのは「民泊」です。小岩駅からは、浦安の大きなテーマパークへ直通バスが出ていました。
しかし、手続きを踏み、契約も結んで民泊を始めようと思った矢先、コロナ禍が襲いました。あっという間に海外からのお客さんが見込めなくなり、計画は白紙に戻ってしまいます。
コロナ禍では外出自粛が求められたこともあって、小岩の街は、それまで以上に静かになってしまいました。商店街にはシャッターを下ろしたままの店も多くなり、昔からよく知っていた町中華のお店も閉まってしまいました。
「これ以上、小岩の食べ物屋さんにやめて欲しくない」……そう思った松岡さんのもとへ、ちょうど国からの給付金である10万円が振り込まれます。
「そうだ。この10万円を小岩のために役立てよう!」
まずは小岩の商店街の飲食店をオンラインで応援しようと、SNSを活用した「小岩グルメフォトコンテスト」を開きます。給付金を元手に、最優秀賞1名に賞金1万円、優秀賞3名には3000円。商店街の会長さんがTシャツのプレゼントも申し出てくれました。
反響に手ごたえを感じた松岡さんは、再開発が進む小岩の街並みを記録に残そうと、今度は「小岩レトロフォトコンテスト」を開催。大学生などの若者から、写真が大好きな年配の方まで参加者の輪が広がり、去年(2022年)には『ラブユー小岩レトロ』という1冊の本にまとめることができました。
一方で、YouTubeチャンネル「小岩デラックス」も立ち上げ、今年は何と、小岩をテーマにした「歌」もつくりました。タイトルは『いじられて小岩』です。
昭和歌謡風のメロディにのって、「東京のはし(端)小岩」「治安悪くないわ」など、松岡さんが実体験やスナックの風景を思い浮かべて書いた、少し自虐的な詞が唄われます。
SNSやメディアを使った、松岡さんの自発的な小岩の街を盛り上げる取り組み「小岩コンテンツプロジェクト」に、行政も注目してくれるようになりました。江戸川区から「景観まちづくり賞」が贈られたのです。
松岡さんは小岩の街のよさについて、こう語ります。
「小岩は気楽な街です。たとえ失敗しても、地元の人がそれを受け入れてくれます。だから何度でもやり直せる、何度でも立ち上がることができる温かい街なんです」
近い将来、街の風景は変わっても、小岩の人の温かさをずっと残すために、松岡さんはきょうも小岩の魅力を発信し続けます。
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ