台湾半導体大手進出によって回帰する日本各地の「企業城下町」
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ジャーナリストの佐々木俊尚が11月1日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。宮城県に工場建設を発表した台湾の半導体大手PSMCについて解説した。
SBIホールディングスと台湾半導体大手、宮城県に工場建設を発表
ネット金融大手のSBIホールディングスと台湾の半導体大手PSMCは10月31日、都内で記者会見を開き、共同で宮城県大衡村に半導体工場を建設すると正式に発表した。1期目の工場は約4200億円をかけ、2027年の稼働を目指す。
佐々木)ファウンドリー、いわゆる半導体の製造だけを担う会社において、PSMCは世界第6位だと言われています。台湾のなかでは第3位です。第1位のTSMCは、熊本の工場がもうすぐ稼働します。その影響で熊本の経済が活況を呈しています。
飯田)すごいらしいですね。
佐々木)アルバイトの時給が3000円というレベルで、お店もホテルもできて人も集まっており、新しい企業城下町のような感じです。歴史を振り返ると、高度経済成長の時代はいろいろな会社が各地方に工場をつくり、そこに人が集まって企業城下町がたくさんできていました。しかし、2000年代になるとグローバリゼーションのなかで、どんどん工場が海外移転してしまった。
TSMC、PSMCという台湾企業によって地方都市の企業城下町が回帰 ~熊本・宮城
飯田)私も神奈川出身なので、日産の城下町という感じでした。座間や横須賀、追浜にも工場がありました。
佐々木)工場が日本国内から移転すると、かつての企業城下町はなくなり、現在の惨憺たる地方都市の状況があるのですが、20年の月日を経て再び国内に、しかもTSMCとPSMCという台湾企業によって回帰してくる。日本経済の浮き沈みを考えると、「もはや海外から工場を受け入れるのか」と寂しい気もしますが、それでもTSMCやPSMCなどの台湾ファウンドリーの力は圧倒的です。それが日本に来てくれるのは、経済安全保障の観点から考えても素晴らしいことだと思います。
半導体ビジネスをプラットフォーム型のビジネスにした台湾のファウンドリー企業
佐々木)ファウンドリーに関して、アメリカ経済史の研究者が書いた『半導体戦争』という翻訳書が刊行されています。20世紀・黎明期の半導体から、いまに至るまでの歴史が書いてあります。コンピューターのスタートとともにアメリカが半導体をつくり始め、日本が途中から真似してつくるようになり、70~80年代は日本の半導体が世界を席巻しました。
飯田)LSIなどの時代ですか?
佐々木)そうですね。すごかったです。ソ連も当時、アメリカに対抗して一生懸命つくろうとしたけれど、半導体をつくる装置が精密すぎて、コピーできるようなものではない。そのなかで台湾のファウンドリーは違うやり方をしたのです。いままではインテルなどのように、半導体の設計も製造も行い、それをチップにするという垂直統合だったわけです。
飯田)一気通貫で進めていた。
佐々木)しかし、製造と設計を分離するしかないと考え、いわゆるプラットフォーム型のビジネスにした。何がよかったのかと言うと、アメリカの小さなスタートアップ企業が「こういう半導体をつくったらいいだろう」と考えて設計する。でも、それをつくるには莫大な金が掛かるので、スタートアップに参入できる余地がなかったのです。
飯田)小さな会社では。
佐々木)そこに台湾のファウンドリーが出てきて、「うちがすべて精密な半導体をつくる装置を担います」と。実際に精密な半導体をつくるための映写機のようなものは、オランダや日本の会社がつくるのですが、そういうものを集めて、巨大な製造装置を台湾のファウンドリーがつくる。その代わり、設計やアイデアはお願いする形で分業したわけです。分業したことによって、半導体をさらに進化させることもできた。
飯田)なるほど。
佐々木)だから、もし台湾侵攻が起きて台湾の半導体ファウンドリーが消滅してしまったら、世界中で半導体がつくれなくなってしまう。台湾侵攻も絡んだ深刻な課題になっています。そこでリスクを分散させるため、TSMCが日本やアメリカに工場をつくっているのです。日本にとってはありがたい、いい話だなと思います。
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