【麻布競馬場さん】時代の空気の移り変わりを感じるのが好き―、タワマン文学はどのようにして創られたのか?

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『スルミ presents トップジャム』は、ビジネスのトップシーンで活躍する方や、気になる時事問題を読み解くスペシャリストを迎えて話を伺っていく番組です。

本日のゲストは、直木賞にもノミネートされた小説家で、「タワマン文学」というジャンルを切り拓いた麻布競馬場さんです。

石塚さんはコロナ禍に、当時のTwitterのツリーで作品を読んでいたそう。あの限られた文字数で次を読ませる気持ちにさせるのがすごいですよね、と福田アナ。
さて今回は、どんな話が聞けるでしょうか。

【麻布競馬場さん】時代の空気の移り変わりを感じるのが好き―、タワマン文学はどのようにして創られたのか?

福田:小説家の麻布競馬場さんです。よろしくお願いします。

麻布競馬場:よろしくお願いします。

福田:いい声!

麻布競馬場:ありがとうございます。プロに言われると気持ちいいですね。

福田:しかも覆面小説家ということなんですが、今、私たちは見てしまっているという。
では、プロフィールをご紹介します。麻布競馬場さんは1991年生まれ。会社員でありながら、当時、Twitterにツリー形式で投稿した小説が話題となり、本にまとめた『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』がヒットを記録しました。2作目となる『令和元年の人生ゲーム』は、第171回直木賞にノミネート。大きな話題を呼びました。

石塚:私自身が東京出身なので、東京での生きづらさとかわからないんですけど、地方から1人で出てきて何かしら爪痕を残そうと、その象徴がタワマンだったりして。無理して住んだら、こんなはずじゃなかったとか、やっぱり上には上がいることがわかってしまった、とかそういうところにすごい共感しました。

福田:麻布さんは、どうしてそういったものを作品にしようと思われたんですか。

麻布競馬場:本当に暇つぶしで始めた活動だったので、本にしようってつもりもなかったし、どちらかっていうと、自分の周りの人が思ってることや、思ってるだろうけど言葉にできてないものを人に伝えたいなと思って。ある種、人の心から勝手に言葉とか文章を引っ張り出すような感覚でした。うっすらモデルにした人たちもいたので、たまに気づいた人からこっぴどく怒られたこともありましたね。

石塚:麻布さんにとってタワマンってなんですか。

麻布競馬場:タワマンは、平成的な幸せの象徴なんじゃないかっていうふうに思ってまして。僕自身も平成3年生まれで、平成のうちに大学卒業してサラリーマンになった身なんですけど、当時は2,3歳上の先輩が「俺、豊洲にマンション買ったんだよね」って写真見せてくれて、「かっこいいな」って思ったんです。

今は相当高くなっちゃったので、手が届かない存在になってますけど、当時は割といい大学からいい会社に入って、しっかり働いていれば、銀行もお金を貸してくれて、タワマンに住めるみたいな。

でもあれよあれよという間にタワマンの価格も上がって、景気もなかなか良くならなくて、サラリーマンの給料的にはもうタワマンが手に届かなくなってきたときに、これから身体とか精神とかをすり減らしてでも、「あなたはタワマンに住みたいですか」って問いが、おそらく突き付けられてるんじゃないかと。

【麻布競馬場さん】時代の空気の移り変わりを感じるのが好き―、タワマン文学はどのようにして創られたのか?

石塚:麻布さん自身は、タワマンにお住まいなんですか。

麻布競馬場:一時期、住んでたんですよ。めちゃめちゃ便利でしたけど、低層マンションに戻りました。

福田:それは理由があったんですか。

麻布競馬場:直接的なとこだと、まず住民のガラがめちゃめちゃ悪い。あと、自分の中で本当にタワマンが必要なのかって結構考えたんですよ。ちょっと人に自慢したいとか、女の子が家に来たときに自慢したいとか、それぐらいしか用途がないんだったら、ここじゃなくていいなと思って。家賃半分以下に減らして、その分、友達とめちゃめちゃ飲みに行くようにして、お金の使いどころがだいぶ変わりましたね。

福田:そうやって飲みに行ったときに得たものが、作品に影響されることってあるんですか。

麻布競馬場:それが結構ありまして。飲食店のカウンターで1人でご飯食べてたら横のご夫婦とかお店の人に絡まれて、「今度、ここ行こうぜ」って一晩連れ回されたりとか、後日ご飯食べに行くって結構あります。そういう、うっすらした友達がたくさんできるんですよ、外食してると。

日本人って、友達に関して親友信仰みたいなものってあるじゃないですか。深く狭い友達こそが一番だっていう感じがあると思うんですけど、もっと広くて薄い人間関係も同時に持つってことが大事なんじゃないかなと思ってて。働き方とかも同じだなと思うんですよね。

ひとつの会社で超頑張ってタワマンに住むみたいな1個の人生の形だけじゃなくて、人生の3割を作家活動とか音楽活動に使ってみて、お金じゃない幸せを手にしてみようみたいな。人生の方向性をいくつかに分けるっていうのがあっていいんじゃないかっていうのは思ってます。

石塚:タワマン文学って、人の生きづらさや東京での生きづらさ、その中であがいていく人たちのことだと思うんですけど、やっぱりあがいている人たちの話をメインに書かれているんですか。

麻布競馬場:当時は何となくそういう気分だったってのは多分あって。コロナの閉塞感とか、コロナの前にアベノミクスとか世の中が湧いてたところが急にぱっと止まっちゃったとか。

時代の空気、っていうものがすごく好きなんですよ。なので、『令和元年の人生ゲーム』は、「時代が主人公です」って公言してて。平成中期ぐらいの、ホリエモンが「多動力を発揮して圧倒的に成長しろ」とかって言ってる時代から、気づけばひろゆきさんが「それってあなたの感想ですよね」って言って、頑張ってる人を冷笑してるみたいな。あの時代の空気の移り変わりがすごく好きなので、ある意味、時代を憑依させてるみたいな感じも近いかもしれないですね。

福田:そうやって、時代を感じるのが好きだって自覚したのはいつですか。

麻布競馬場:令和元年が来た瞬間ですね。
当時、平成リバイバルみたいな部分もあったじゃないですか。あれが何となく気に食わなくて。平成はあんなにヒドい時代だったのに、なんでいい感じでみんな振り返ってんだと。

今振り返ると、「昭和はよかった」って言って、多分、昭和では「大正はよかった」って言ってたと思うんですよ。それをみんな繰り返して、終わった時代は全部いい時代、今の時代はダメだ、っていうふうなことを、これから言われ続けるものなんかむかつくなと思って。平成のダメな感じををちゃんと書き留めようっていう、変な反骨精神が働いた結果があれだった気がしますね。

【麻布競馬場さん】時代の空気の移り変わりを感じるのが好き―、タワマン文学はどのようにして創られたのか?

石塚:参考にしてる作家さんとか、好きな作家さんとかいらっしゃるんですか。

麻布競馬場:さっきの元号が変わった瞬間にって話は、夏目漱石が同じことやってて。『こころ』って小説で、明治が終わる瞬間に号砲がドーンと鳴って明治が終わったんだって主人公が感じるシーンはいまだに覚えます。読んだのは平成の頃だったので、平成が終わるときはどんなふうに思うんだろうっていうのは思っていましたね。

福田:これから書きたいことはありますか。

麻布競馬場:全共闘を書きたいなと思ってます。1960年代の終わりから1970年代の初めぐらいまで、いわゆる学生運動を端に発しながら、最終的に浅間山荘事件という悲劇的な結末に至っていく一連の社会運動です。平成から令和にかけての、あの熱狂から冷笑への流れって見覚えあるなと思ったら、完全に全共闘の時代で。

あの頃って、まず全共闘っていうムーブメントにみんな熱狂した後に、その後、しらけ世代っていうのがやってくるんですよ。それを聞いたときに、完全に平成と令和と同じって思ったんです。

意識高い人ってみんなすぐ人類をアップデートしたがるけど、そうじゃない。だからこそ人間は同じ過ちを繰り返すし、だからこそ歴史を学ぶ意義があるんだと思うので、そういった意味でも、未来を占うためにも、過去を振り返るってことが大事だと。自分自身の整理のためにも、ぜひその時代を書いてみたいなと思ってます。

福田:次の作品、楽しみにしています。お知らせがあればお願いします。

麻布競馬場:これまで単著を2冊出してるんですけど、1作目の『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』が最近文庫化されまして、集英社の「ふゆイチ」にも入っています。2作目の『令和元年の人生ゲーム』も続々重版中で、こちらも店頭に並んでいます。冬の読書に、ぜひお手に取っていただければ嬉しいです。

番組情報

スルミ presents トップジャム

毎週木曜日21:00-21:30

番組HP

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