
フランク永井からもらった「あめ玉3個」が元教師の人生を変えた
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今年6月『上柳昌彦 あさぼらけ』に高田文夫先生をお迎えし、昭和の「忘れられない人」のお話を伺いました。

フランク永井さんとの思い出を語る武山さん
立川談志師匠、渥美清さん、永六輔さん、三木のり平さん、森繁久彌さん、フランク永井さん……。昭和の芸能界を彩った、そうそうたる皆さんでした。
高田先生ならではの、目に浮かぶようなお話に、たくさんの反響が寄せられました。番組でも少しご紹介しましたが、フランク永井さんからもらった「あめ玉」のお話。今朝は、その思い出のお手紙を朗読します。
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あれは昭和37年、私は青森県三戸町立三戸中学校2年生でした。フランク永井さんが、巡業で三戸町に来たのです。そりゃ観たいです。スーパースターですから。でも、無理無理。観るためには「招待券」が必要なのです。三戸町の店で買い物をすると、「補助券」をくれます。それが30枚たまると、「招待券」と交換してくれます。
でも、我が家は貧乏、買い物をしないので、これはとても無理。ところが、フランク永井さんに会える方法がありました。コンサートの後、三戸町青年団と、野球の親善試合をするというのです。これは無料。誰でも観られます。
場所は三戸中学校の校庭。私は何時間も前に出掛けて、今か今かと、待っていました。初めて観るスーパースターは、身長はあんまり高くなく、ポジションは外野手でしたが、やっぱり、オーラを放っていました。
親善試合が終わり、私は水を飲もうと水飲み場に行きました。ふと気がつくと、何と、隣でフランク永井さんが手を洗っていたのです。
もうびっくり。見ると、手をふくタオルがなくて困っている様子……。スーパースターに、恥ずかしくて声をかけづらかったのですが、思い切って「これを使って下さい」と、首に巻いていたタオルを手渡しました。その時でした。フランク永井さんが「ありがたい、使わせてもらうよ、君は、やさしい人だね」
そう言うと、ポケットから見たことない珍しいあめ玉を3個、私に手渡してくれたのです。そりゃ、びっくり!スーパースターのフランク永井さんから、あめ玉を3つも!あめ玉はとても食べられません。私の宝。その日から、私はフランク永井さんの大ファンになったのでした。
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情景が目に浮かぶようなお手紙を送ってくださったのは、埼玉県川越市にお住まいの武山正伸さん。昭和24年、青森県八戸市生まれの77歳です。

自宅は「昭和の博物館」として開放
三戸高校、国士舘大学を卒業後、川越市内の中学校で体育教諭となりました。中学の教師を退職した後も、朝は陸上競技の指導、昼は指圧師の学校に通い、夜は定時制高校で体育を教え、さらに講演活動も続けてきました。
「私が教師になった頃、中学がとても荒れていました。その経験から教師は、どのように生徒に接したらいいか、そんな講演を各地でやらせて頂きました。ところが無理をしすぎて、気がついた時には、病気に侵されていたんです」
特につらかったのが、脳梗塞の後遺症だったそうです。突然、目がまったく見えなくなる発作が、20分ほど続きます。そのまま失明するのでは……。まるで「地獄」に突き落とされたような気分だったと、武山さんは言います。
「主治医から『講演はやめなさい』と言われましたが、学校から来てほしいと言われると、やめるわけにいきません。もし講演中に発作が起きたら資料が読めず、中止するしかない。どうしよう……。その時、私の頭の中にフランク永井さんの姿が浮かんだのです」

フランク永井さんのレコードとサインを手に
それは、フランク永井さんのショーを何度も観に行く中で感じた観客をひきつける話術の素晴らしさでした。
「ある日、『なるほど、そうか!』と思いました。その語り口は、生まれついてのものではなく、努力だったんです。『フランク亭永井』という高座名を持ち、落語を勉強していました。これなんだ! 何事も準備。私も、これを見習おうと思いました」
武山さんは、講演を頼まれると、すぐにシナリオを書き、すべて頭の中に入れました。発作が起きても、慌てずに話を続けられるように……。
武山さんは、講演を聴きに来る方に「あめ玉」を手渡し、フランク永井さんからもらった「あめ玉」のエピソードを話します。
「思いやりの心が一番大切。そして、誰でもいいところが、必ずひとつあるから、諦めずに頑張りなさい」そう、子どもたちに伝えています。
「君は、やさしい人だね」フランク永井さんの、あの言葉が、今も武山さんの胸に残っています。





