
お聴きの方のなかにも、様々な形で「介護」に直面されている方がいると思います。同居介護、近居介護、遠距離介護に老老介護、認認介護。そして、入所介護、通所介護、在宅介護に介護離職と、枚挙に暇はありません。今回は、たった一人の肉親であるお母様を、在宅で介護されている女性のお話です。

血糖測定 ※イメージ画像
ラジオネーム「ブリブリぶりっ子さん」は、1961年生まれの65歳。福島県いわき市、その昔、奥州三関の一つがあったとされる勿来(なこそ)のご出身で、千葉を経て、今は横浜市にお住まいです。6年ほど前にお父様を亡くされ、91歳のお母様の介護をしながらの二人暮らしです。
お母様は、大学の家政科をご卒業されたこともあり、洋裁が大変お上手でした。お元気なころは、東京・銀座のお店でオーダーメイドの洋服を仕立てていたほか、年齢を重ねてからも、お住まいの地域で洋裁教室の先生を務めていらしたそうです。「ぶりっ子さん」も、ご自身のお洋服はもちろん、すべてお母様のお手製でした。
そんなお元気でかくしゃくとしたお母様にも、80歳を超えた頃から、認知症の症状が出てきてしまったことで、やがて介護サービスの利用も始まります。「ぶりっ子さん」がお勤めに出た後、介護施設の方がお母様を迎えにやって来て、デイサービスで一日を過ごして、夕方にはそれぞれ家に戻る生活となりました。
しかし、2年ほど前のある日、不運にもお母様の送迎が忘れられてしまい、お母様お一人で一日、飲まず食わずのまま、自宅で過ごす事態が起こってしまいます。時を同じくして、お母様は歩くのが難しくなり、寝たきりの状態になってしまいました。「ぶりっ子さん」はお母様の通所介護を諦め、ヘルパーさんとの在宅介護に切り替えます。
それでも、お母様の容体は安定しません。去年の秋には、お母様が胆嚢炎を患ってしまいます。年末、「ぶりっ子さん」が仕事から家に戻ると、そこには、のどに「痰」が絡んでしまい、苦しみ悶えるお母様の姿がありました。
『もう、これは一日、私が母のそばにいないと危ない!』
そう直感した「ぶりっ子さん」は、お仕事を辞める決断をしました。

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今年1月、「ぶりっ子さん」のお母様の本格的な介護が始まりました。早い日は朝4時台に起きて、まずはおむつ交換。お腹に小さな穴をあけカテーテルを通し栄養や水分を補給する「胃ろう」周辺の皮膚の処置、白湯の注入、お口の中のケア、血糖測定、血圧測定、酸素濃度測定、検温、栄養剤注入、インスリン注射をこなして、痰の吸引と続きます。これを朝だけでなく、お昼、夕方にもやった上で、午後には温かいタオルでお母様の体を
ゆっくり、丁寧に拭き上げます。「ぶりっ子さん」が家を空けなければいけない時は、訪問看護師の方がサポートに入ってくれるようになりました。
献身的な介護を続けている「ぶりっ子さん」ですが、決して万全な体調というわけではありません。「ぶりっ子さん」ご自身も、2年ほど前、脊柱側弯症の診断を受けていて、立ったままでいるのも、歩くのにも大変難儀されているのです。お医者様には「いずれ手術が必要」と言われていますが、今の状態では踏み切れません。
ただ、仕事をしながら介護をしていた時と比べて、介護をするだけでいい今のほうが楽だと話す「ぶりっ子さん」、介護に集中できる理由をこう話します。
「父を亡くした今、私にとっては母が唯一の家族なんです。私だけのために母は生きてくれているんだ、そう思ってきたんです」
でも、決してそうではないと気づかせてもらえる出来事がありました。訪問看護師さんは、来てくれる度にお母様の状態をノートに書き残して下さいます。ある日、こんなメッセージが残されていました。
“お母様が玄関まで聞こえる声で「おはよう!」とおっしゃって下さいました。私たちもお母様に元気を分けてもらっています!“
「ぶりっ子さん」は驚き、そして嬉しくなりました。それまでお母様はほぼしゃべることも出来ず、ぶりっ子さんとの会話もほぼ無いまま、静かに淡々と介護が続いていく毎日だったんです。
『母は私以外の方にも、まだ何かを感じていただける存在なんだ!』
そんな「ぶりっ子さん」、今の息抜きはラジオです。母娘二人きり、家に音がないのが寂しくて、今年5月ごろから聴くようになりました。自分の体がつらい時も、メールのテーマを考えることが、少し気晴らしになるそうです。
「ぶりっ子さん」は、今日も「お母様のそばにいられる幸せ」を噛みしめながら、朝、ラジオのスイッチを入れます。





