横山秀夫さんのベストセラー小説を映画化した『64-ロクヨン-』
先に公開された「前編」の評判が、すこぶる宜しいそうで、私も昨日、観てきましたが、評判にたがわぬ大力作でございました。
今週末、6月11日からは、お待ちかねの『64-ロクヨンー後編』が、全国公開されます
さて、この『64』(ロクヨン)というタイトル。
ストーリーと深くかかわっている「昭和64年」の64から付けられたものなのですが…映画の大ヒットを受け、若いヒトたちの間で、こんな声が飛び交っているのだそうです。
「えっ? 昭和って… 64年まであったの?」
「せいぜい、62、3年くらいまでだと思ってたよ!」
実際、あるアンケート調査によると、平成生まれの若い人たちの実に4割のヒトたちが、「昭和という時代が64年まであったことを知らない」のだそうですよ。
そこで今日は、忘却の彼方へと消えつつある「昭和64年」に、いったいどんなことがあったのか、改めて、詳しく振り返ってまいりましょう!
まず、若い人たちに限らず、わりと誤解されていることがあります。
それは、「平成元年」イコール、そのまま「1989年」と思っているヒトが意外と多い… ということ。
昭和64年は、西暦1989年のはじめに、わずか1週間で終わりました。
そのせいか、この「昭和64年」というのは、割とおざなりにされている傾向にあります。
というもの、「平成」という時代の始まりを振り返る場合には、必ずといっていいほど、1月7日の、小渕恵三官房長官の記者会見映像から始まりますでしょう。
墨痕も鮮やかに「平成」という二文字が書かれた紙を掲げる、あの有名なシーンですね。
そのせいか、その前の数日間は、どうしても印象が薄れがちとなる… 。
ですから、この「昭和64年」は、「あとで平成元年に組み込まれて消滅した」と思ってる人が多いんですが、もちろん、事実は異なります。
わずか7日間ではありますが、「昭和64年」は、厳然と存在するんです!
そのあと、1月8日からが「平成元年」となる… 。
そのため、平成元年は、358日間しかなく、いつもの年よりも7日間少ないんです。
さぁ、この懐かしの昭和64年。いったい、どんな「時代」だったのでしょうか?
講談社発行『昭和二万日の全記録』を中心に、当時の出来事を振り返ってみますと…
前の年、すなわち昭和63年(1988年)9月19日、天皇がご就寝中、とつぜん吐血。
以来、日本列島には、ごく自然と、“自粛”の空気が漂うようになっていました。
そんなムードの中、昭和64年は、いわば厳(おごそ)かに、その幕を開けます。
まず、1月1日といえば、年賀状です。
中日新聞には、当時の年賀状について、こうあります。
「『賀』とか『めでたい』という表現は少なく、『迎春』『頌春』といった文字が目立つ。」
年賀状の数そのものも、戦後初の「落ち込み」となりました。
お年玉付き年賀はがきは、当初の予定より2億6千万枚減らして発行したにもかかわらず、
「6,900万枚」も売れ残ったそうです。
「自粛」といえば忘れられないのが、井上陽水さんが出演していたテレビコマーシャル。
それまでは、陽水さんがカメラに向かって「みなさんお元気ですか~?」と語りかけていたのですが、いつのまにか、このセリフが消されました。
そして、しばらくの間、陽水さんが、口をパクパクさせるだけという映像が使われたものでした。
お笑いタレントを数多く抱える吉本興業は、芸人さんたちの仕事のキャンセルが「87件」にのぼり、業績を下方修正したそうです。
1月2日
皇居の一般参賀に皇族の方々のお出ましはなく、記帳のみを受け付けるという異例の参賀となりました。
ちなみにこの日には、昭和64年で唯一のオリコンチャートが発表されています。
この日、シングルチャートの1位に輝いたのは、長渕剛さんの『とんぼ』でした。
長渕剛さんご自身が主演したドラマ『とんぼ』の主題歌として大ヒットしましたが… 懐かしいですね。
1月3日
総理府が、教育に関する世論調査結果を発表しました。
「家庭でのしつけが『低下している』と答えた人が63%にのぼり、史上最高の割合となったそうです。
いま、例の「北海道での“おきざり”事件」で、「しつけ」の問題がクローズアップされておりますが…
今も昔も、難しい問題であることは間違いないようですね。
ちなみに、まさにこの日、現在27歳、体操の内村航平選手が、この世に生を受けております。
1月4日
株式市場も幕を開けます。この日の日経平均の終値は、30,244円。
まさに、バブル絶頂期でした。株価は、この年の年末まで上昇を続けます。
1月5日
住宅都市整備公団が、公的サービス期間としては初めて「消費税3%を4月からの家賃に上乗せする」との方針を発表。
要するに、公営住宅の家賃に消費税が乗っかる… ということになったワケです。
このときはまだ、庶民が消費税という仕組みに慣れていなかったせいか、大騒ぎとなりました。
1月6日
自粛ムードもなんのその、バブルで押せ押せのあの時代。
いくら高くても、売れるモノは売れました。
この日、百貨店の初売りで、ひと袋・数百万円以上、「超高額」の福袋に希望者が殺到。
最高額の福袋は、三越百貨店が売り出した絵画の福袋で、お値段はなんと、「5億円」!
ただし、「福袋」という名前は付けられなかったようでして、当時の朝日新聞には、こうあります。
「福袋は、『迎春袋』『お年玉袋』などと呼び名を変えた」。
そして… ついに、「昭和最後の日」。すなわち、「1月7日」がやってきました…
つぶさに時刻を追いながら、振り返ってみましょう。
昭和が始まって、「2万2,660日目」、この日の早暁、
午前6時33分
昭和天皇、十二指腸乳頭周囲腫瘍で、吹上御所にて、87歳と8カ月で崩御。
午前8時59分
小渕官房長官が緊急記者会見。
「各省庁は今日7日を含めた六日間、弔旗を掲揚し、公の行事や儀式、歌舞音曲を伴う行事を差し控えるよう要望する」と発表。
午後1時30分
和歌山県で、昭和天皇と同じ年に生まれた男性が、後追い自殺。
遺書には、こんな辞世の句が… 「かしこくも 天皇さまと共に生き 冥土もお供に 行くぞうれしき」。
激動の昭和を象徴するような、“殉死”事件でした。
午後2時1分
新元号を正式決定する臨時閣議が始まります。
午後2時35分
小渕官房長官から、新元号「平成」が発表されました。
そして… この日は、「証券取引所」「大相撲」「競馬競輪」が、すべて閉鎖、中止となりました。
さらにこの日、近鉄花園ラグビー場で開催予定だった第68回全国高校ラグビー大会決勝も、中止と決定。
茨城代表の茗溪(めいけい)学園と、大阪代表・大阪工業大学高校は、「両校優勝」とされました。
あくる日、1月8日、新元号となった「平成」が施行されまして、平成時代がスタート。
“激動の昭和”は、ここに終焉を迎えたわけです。
わずか1週間、されど濃かった1週間。
懐かしの「昭和64年」… 貴方は、覚えていらっしゃいますか?
6月8日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!「三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より