“人馬一体”!シニア世代に勇気を与え続ける馬術選手。 【10時のグッとストーリー】

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番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】

熱戦が続くリオデジャネイロ オリンピックですが、今回、もし出場していれば日本人最高齢だった選手がいます。
4年後の東京オリンピック出場も視野に入れ、75歳で、今なお現役を続ける選手のグッとストーリーです。

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【画像】法華津寛(ほけつ・ひろし)さん

4年前、ロンドンオリンピックに馬術競技・日本代表として71歳で出場し、シニア世代に勇気を与えた、法華津寛(ほけつ・ひろし)さん。
日本人選手では、もちろん最年長記録。
リオオリンピックにも出場を目指していましたが、愛馬・ブリオーニW(ダブリュー)が体調不良のため、リオ挑戦を断念。

「馬が咳(せき)をしていたんです。いいパフォーマンスができないのを分かっていて、馬に無理をさせるわけにはいきませんから…」と、その理由を語った法華津さん。

まさに「人馬一体」ゆえの決断。オリンピックで、人と動物が一緒に出場する競技は馬術だけ。
半世紀以上にわたる法華津さんの競技人生は、騎乗する馬たちにどう接して、人馬一体の状態を作りあげていくか、という、人と動物の垣根を越えたコミュニケーションの歴史でもありました。

法華津さんによると、馬術でもっとも大切なのは「馬との正しい主従関係を作ること」。
その方法は馬によって違い、牡馬(おすうま)の場合は、主導権を巡って「男同士の戦い」になることもありますが、牝馬(めすうま)の扱い方はまた別。
法華津さんはこう言います。

「無理に言うことを聞かせようとすると、スネてしまうことがあるんです。時には少しおだてながら、気分を損ねないようにしないと…人間の女性と同じですね」

競技歴の長い法華津さんですが、52年前、1964年の東京オリンピックにも出場しています。
当時は23歳で、馬と障害物を飛び越えていく「障害飛越(ひえつ)」の選手として参加。
会場の国立競技場に入ったとき、観客の数と迫力、そして欧米の選手たちの美しい騎乗姿に圧倒されました。

その後、一時馬術から離れたこともありましたが、会社勤めをしながら練習を続け、再びオリンピックを目指した法華津さん。
動体視力に衰えを感じた30代からは、選手と馬が一体になって演技を行う「馬場馬術」に種目を変更し、88年のソウル大会では、47歳で代表に選ばれましたが、馬が検疫に引っ掛かり無念の辞退。

しかし、法華津さんは諦めません。
2003年、62歳で定年を迎えると、かねてからの夢だった本場・ヨーロッパでのトレーニングを決意。
単身ドイツに渡りました。
そして2006年の暮れ、運命の出逢いが訪れます。
「ウイスパー」という牝馬(めすうま)を見た法華津さんは、この馬に強く惹かれ、一緒にオリンピックを目指すことに。

「ちょっとわがままで、気まぐれなところもある馬でしたが、なぜかピン!と来るものがあったんです。うまく説明できませんが…男女の出逢いみたいなものです(笑)」

法華津さんの直感は当たり、トレーニングを重ねるうちに、ウイスパーとの呼吸も完璧に。
2008年、法華津さんは67歳で、北京オリンピックの代表に選ばれました。

これは当時の史上最年長記録。
また東京大会以来、44年ぶりの出場は、オリンピック史上、もっとも間が開いた返り咲きの世界記録として、ギネスにも認定されました。

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【画像】2010年世界馬術選手権大会(アメリカ・ケンタッキー) 競技中

続くロンドン大会にも、71歳でウイスパーと一緒に出場。
最年長記録を更新しましたが、大会後、足のケガがもとで、ウイスパーはこの世を去ってしまいました。
心にぽっかりと大きな穴が開きましたが、それでも法華津さんがリオを目指したのは「馬術が好きだから」。

今後のことはまだ決めていませんが、現在の愛馬・ブリオーニW(ダブリュー)の回復を待って、競技を続けていくそうです。
4年後、56年の時を経て、二つの東京オリンピックに出場という、前人未踏の快挙が実現するかもしれません。
今も現役、法華津さんからのメッセージです。

「『好きなこと』があると、人はいきいきと元気でいられると思います。中高年世代の皆さんには、何でも構わないので、自分の好きなことを持ってほしいですね」

八木亜希子LOVE&MELODY

番組情報

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毎週土曜日 8:30~10:50

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