それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
うっそうとした緑に囲まれ、湯の香ただよう箱根湯本…
‘ヘレン・ケラー’や‘チャップリン’など、数々の有名人が宿泊した宮ノ下の富士屋ホテルを下ったところにかかる赤い橋=あじさい橋のたもとに、今朝ご紹介する“田中みのる”さんの仕事場があります。
仕事場といっても、土・日・祝日などにワンボックスカーで乗り付け、後ろのドアを開ければ、ただ今開店!移動式の簡易店舗です。
「なぁ、お願いしてみれば?」
「でも、何だか恥ずかしい」
「いいじゃないか、記念だもの…あのう、お願いします」
「はい、いらっしゃい!」
お客様を笑顔で迎えながら鉛筆をとり、スケッチを始める田中さん。
もうお分かりでしょう。
田中さんは、湯本で「にがおえ」を描いている絵描きさんです。
「ジロジロ見つめちゃって、ごめんなさいね」
こんな優しい言葉で、お客さんの気持ちをなごませながら、いそがしく鉛筆を動かす田中さん。
最初は顔の輪郭を描き、次に目、鼻、口、眉などを決めていく。
このときの鉛筆のシン一本ほどの違いで、イメージが全然変わってしまうといいます。
スケッチが終わったら、水彩で色を入れ、名前と好きな言葉を書き込み、色紙の下のへりに、富士山系のシルエットを描き込んで出来上がり!
この間10分から15分。
顔はにこやかでも真剣勝負です。
「多い時は、一日30枚くらいでしょうか。20枚を過ぎた頃から、もう来ないで…と、思ってしまうんです。」
こう言って笑う田中さんは、なかなか正直な方です。
“田中みのる”さんは、神奈川県二宮町生まれ。
「小さいころから、勉強はダメだったけど、絵だけは思いどおりに描けた。親に感謝しています。」
学校では毎年、春と秋に1年生から6年生までまとめて、写生会が開催されました。
「この写生会で、選にもれたことはありません。」
ちょっと誇らしげにおっしゃる田中さんは、高校を卒業後、小田急電鉄で4年、鎌倉ハムの系列会社で6年、それぞれの職場のデザイン部門の道を歩みました。
レタリングの通信教育を受け始めたのは、はたちの時…。
こうした技術を活かし、28歳の時、看板屋さんに就職。
1年後に独立を果たしました。
以来、65歳の現在まで「タナカ デザイン 美研」という看板屋さんを運営してきた田中さんの休日の副業が「にがおえ」なのです。
これまで何百人、何千人もの「にがおえ」を描いてきた田中さんの胸に残るお客様は、70代半ばの老夫婦…。
苦労を重ねてきたのでしょう、二人の腰は、もう曲がっていたといいます。
絵が描きあがるのを待ちながら交わしていた会話が忘れられないそうです。
「お母さん、苦労をかけたなぁ…」
「お父さん、ホントに良かったですね~」
しわくちゃの顔を、もっとしわくちゃにして微笑んだ奥さん。
色紙より、大きめの額縁を買って、それを入れた二人は、地面に引きずりそうな絵を大切に持って、お互いをいたわるように、帰って行きました。
二つの曲がった背中を見送りながら、田中さんは願いました。
「いつまでも、お幸せに…」
2016年9月7日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ