先日、1930年(昭和5年)に開園した山下公園は関東大震災の瓦礫で造られたというお話をしましたが、その山下公園のシンボルともいえるのが係留されている氷川丸です。
山下公園に行った方は誰でも、大きくて美しい氷川丸の勇姿に目を奪われるのではないでしょうか。
実はこの氷川丸も山下公園と同じ昭和5年に誕生して、今年で86歳になりました。
そしてこの夏、海上で保存されている船舶としては初めて国の重要文化財に指定された、まさに海に浮かぶ文化遺産です!
氷川丸が重要文化財として評価されたのは次の2点です。
1.社会・経済史上における役割
2.造船・工芸技術上の価値
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、実は歴史の荒波にもまれ、戦火をくぐり抜け、ずっと生き延びてきた奇跡の船…それが氷川丸。
日本郵船歴史博物館で「氷川丸の社会・経済史上における役割」をご一緒に見て行きましょう!
氷川丸は1930年(昭和5年)シアトル航路用に造られた貨客船。
当時の最新鋭デンマーク製の大型ディーゼル機関を搭載し、タイタニック号の海難事故を教訓に、船が損傷した時浸水が広がらないよう水密区画を設けました。
波の荒い北太平洋を航行するため外板も厚く造られ、先進の安全性を誇っていました。
映画『街の灯』完成後に来日したチャーリー・チャップリンやアメリカ公演帰りの宝塚少女歌劇団をはじめのべ約1万人が乗船し、船上ではテニスやゲーム大会が行われるなど華やかな時代でした。
しかし戦争の足音が大きくなった1941年に航路が休止してからは、在日外国人と海外残留邦人の引き揚げ船となります。
戦争中は、海軍特設病院船として、終戦までの3年半で南方の島々から3万人を超える傷病兵を運び続けました。
他の大型船が戦渦で次々と沈んで行く中、水中に設置された機雷に3回も接触しながら唯一沈没を免れた氷川丸。
戦後は復員輸送で多くの方々の命を救い、さらに北海道から食料品や石炭を運び戦後の食糧難を支えてきました。
戦中戦後と日本のために働き、日本人の命を救い命の糧となったのです。
やがて大改装が行われ1953年には客船として12年ぶりにシアトル航路に復帰し大歓迎されました。
アメリカで設立された奨学金制度、フルブライト留学生など多くの若者が海を渡った時代、乗客にはノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんや元国連事務次長の明石康さんなどがいらっしゃいました。
そして通常船の寿命は15年と言われる中、倍の船齢30年を迎えた1960年に老朽化と飛行機の普及などで引退が決定しました。
氷川丸は、触雷を乗り越え唯一残った戦前の大型貨客船、30年間で9万人もの人々を運び続けた奇跡の船なのです。
現役を引退した氷川丸は、1961年、観光船として山下公園に係留されることになります。
修学旅行生が宿泊できるように改装もされ、73年までに51万人もの学生たちが楽しい夜を過ごしました。
一方、1963~2004年までは船上結婚式も行われ、2,000組近いカップルの幸せの門出の舞台となりました。
竣工78年目の2008年には「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープン。
そして誕生86年目にして重要文化財に指定されました。
この波乱万丈の歴史や氷川丸がよくわかる展覧会が日本郵船歴史博物館で開催されています。
重要文化財指定記念『まるごと氷川丸展』。
パンフレットや当時の写真、客室デザイン画など歴史を伝える貴重な資料や、氷川丸の実物の1/48の模型も展示されています。
重要文化財指定記念『まるごと氷川丸展』は12/25まで日本郵船歴史博物館で開催中です。
レポート:ひろたみゆ紀
日本郵船歴史博物館
開館時間:10:00~17:00
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
入場料:一般 400円 シニア・中高生 250円 小学生 無料
URL:http://www.nyk.com/rekishi/
日本郵船氷川丸とのお得なセットもあります。