神護寺の薬師如来は、不気味なほど力強い筋肉質の肉体を感じさせる。
その盛り上がった肉体のデフォルメといい、峻厳で暗い冷たい表情といい、
およそ如来ということばのもたらす慈悲とか愛のあたたかさは感じられない。
人間の卑小さやあらゆる罪を見通すような細い切れ上がった目の光に、おどろおどろしい魔力さえ感じさせる。
それにしても何という見事な力強い仏像であろうか。
写真で見るのと、金堂の中にひざまずいて仰ぐのとでは全くこの如来像は趣がちがうのだ。
わたしはこの薬師像が好きだ。心萎えたとき、心身が疲れきり、くずおれそうになったとき、あまりな孤独に耐えられなくなったとき、わたしは秘かに神護寺へ行き、この力強い薬師像の前にわが身をさらす。
自分の卑小さがありありとして、かえって、打ちのめされた底から不思議に、再生の力が湧いてくる。
心うちひしがれ絶望におちいった者を、この如来は決して優しく包みこんでは下さらない。しかし、人間はしょせん孤独で、死ぬまで凡夫で、煩悩の子であることを心底から自覚させてくれる。瀬戸内寂聴
撮影:斉藤ユーリ