小樽駅「かきめし弁当」(1,080円)~北海道初の鉄道・手宮線 【ライター望月の駅弁膝栗毛】

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721系快速エアポート

721系快速エアポート

北海道を代表する観光都市・小樽。
新千歳空港~小樽間は快速「エアポート」で72~75分。
小樽発着の「エアポート」は日中30分おきの運行、小樽・空港共に毎時0分、30分発の分かりやすいダイヤです。
520円の追加でリクライニングシート装備の指定席「uシート」(4号車)にバージョンアップも可能。
銭函(ぜにばこ)付近で車窓の石狩湾を眺めるなら、海側の「A席」指名買いがお薦めです。

(参考:JR北海道ホームページ

小樽駅

小樽駅

小樽の玄関口・小樽駅舎は、昭和9(1934)年築、鉄筋コンクリート造り。
平成18(2006)年には、駅舎とホームが国の登録有形文化財になりました。

駅舎に入ってまずグッと上を向くと、実に開放的な吹き抜けがあります。
吹き抜けの窓やホーム各所にはレトロなランプも据えつけられ、日が暮れると幻想的な雰囲気に・・・。
最近は構内に小樽の有名鮨店の立喰いのお店が出来るなど、一層、駅そのものが楽しめる場所になっています。

手宮線跡、2015年11月撮影

手宮線跡、2015年11月撮影

小樽は、北海道の鉄道史を辿る上では欠かせない街です。
小樽駅から小樽運河へ向かう途中にあるのが「旧国鉄手宮線」。
「手宮線」は幌内炭鉱(三笠市)で産出された石炭を小樽港から全国に搬出するため、官営幌内鉄道の一部として建設されました。
この手宮線を含む手宮~札幌間(およそ36キロ)が開業したのは、明治13(1880)年11月のこと。
「小樽」は北海道の鉄道を生んだ“母”ともいえる街なのです。

色内駅跡、2015年11月撮影

色内駅跡、2015年11月撮影

札幌~小樽を結ぶ鉄道は、今の南小樽から小樽~函館方面へ延伸していきました。
このため「手宮~南小樽」間は、明治42(1909)年から「手宮線」として支線化。
戦後、エネルギーが石炭から石油に移行し、人やモノの流れも変わっていきます。
「手宮線」は昭和37(1962)年に旅客営業を廃止、昭和60(1985)年には路線自体が廃止されました。
しかし「北海道初の鉄道」として今も遺構は保存され、遊歩道などが整備されています。

(参考:小樽市ホームページ

かきめし弁当

かきめし弁当

小樽で鉄道の痕跡を辿ったら、そのまま「北海道初の鉄道」に揺られて札幌へ向かいたいもの。
快速「エアポート」の指定席を押さえれば、安心して駅弁タイムに移行できます。

北海道の鉄道の“母”なる街から旅立つなら、海の“ミルク”ということで、今回の小樽駅弁は「かきめし弁当」(1,080円)をアップ。
調整元はもちろん「小樽駅構内立売商会」です。
掛け紙の背景は「TENGU」の文字が見えますので「小樽天狗山ロープウェイ」ですね!

かきめし弁当

かきめし弁当

掛け紙を外しふたを開けると、ゴロっと牡蠣が5つ。
刻み海苔の風味と相まって、辺りに磯の香りが漂います。
出汁もきいたもっちり食感のご飯の味わいもイイですね。
付け合わせは、大根の味噌煮のみというシンプルな構成です。

これからの冬、吹き付ける雪と季節風、石狩湾の白波に立ち向かいながら、函館本線の列車は走り抜けていきます。
北海道の厳しい自然と鉄道史を思い浮かべながらいただきたい小樽の駅弁です。

(取材・文:望月崇史)

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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