番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【10時のグッとストーリー】
今日は、サッカー日本代表の海外遠征に同行、選手たちを食事で支えると同時に、故郷・福島の復興にも尽力しているシェフの、グッとストーリーです。
再来年、ロシアで行われるワールドカップ出場を懸けて、アジア最終予選を戦っているサッカー日本代表。
最終予選は来年9月まで行われ、中東にも遠征する厳しい戦いが続きます。
その日本代表の海外遠征に毎回帯同し、現地で選手たちのために食事を作っている「代表専属シェフ」が、西芳照(にし・よしてる)さん・54歳。
2004年、ジーコ監督の時代から現在まで10年以上にわたり、日本代表の胃袋を支えてきました。
「最初の頃は、選手の顔もよく分からなくて、『この選手はピーマンが嫌い』とか、メモを作ってました。今はもう、選手の好みは頭に入っていますけどね」という西さん。
慣れない敵地で、日の丸を背負って戦う選手たちの緊張をほぐし、食欲が湧くようなメニューを提供するのが西さんの仕事です。基本的に遠征先の食事はビュッフェ形式ですが、西さんが選手の目の前で、肉や魚を好みに合わせて焼くこともあり好評です。
ワールドカップにもドイツ・南アフリカ・ブラジルと同行。日本食が恋しくなる長期遠征では、西さんの料理は欠かせません。
そんな西さんは、福島県南相馬市(みなみそうまし)の出身。日本代表に関わるようになったのは、福島のサッカートレーニング施設「Jヴィレッジ」の総料理長に就任したのがきっかけです。
2004年、アテネオリンピック最終予選の遠征先で、日本代表が集団で腹痛を起こしたことから、専属シェフが必要だと考えた日本サッカー協会は、西さんにその役目を依頼。Jヴィレッジの仕事と並行して、日本代表との長い付き合いが始まりました。
和洋中、どんな料理でも作りますが、就任したときからずっと選手たちに人気の定番メニューが、西さん特製の「カレーライス」。
「手軽にササッと食べられますから、試合後、疲れて帰ってきたときに出しています。疲労回復のため、肉や野菜もたくさん入ってますよ」
ちょっとピリ辛な味が絶品、と評判で、おかわりする選手も多いとか。普通は海外遠征に行くと痩せますが、西さんの料理がおいしくて、代表入りしてから太ったかも…なんて声もあるそうです。
選手にも信頼されている西さんですが、5年前、大きな危機に直面しました。2011年3月11日、Jヴィレッジの厨房でランチの後片付けをしていたとき、突然大きな揺れが襲ったのです。
幸い、従業員も厨房も無事でしたが、原発事故が発生。西さんは、立ち入り禁止区域となった南相馬の自宅を出て、奥さんの実家がある東京へ避難しました。新たに東京での仕事を紹介され、Jヴィレッジにある荷物を整理しに行くと、サッカーの施設は見る影もなく、原発事故収拾の前線基地に。
そこには、床で寝たり、階段の踊り場で、段ボールを布団代わりに仮眠をとる作業員の姿がありました。しかも食事は、缶詰やレトルト食品しかありません。
「これはひどすぎる。せめて温かい料理でも出せないだろうか」と心を痛めた西さんは、福島に戻ることを決意。2011年6月、Jヴィレッジのシェフに復帰しました。
「周りにも津波で亡くなった人たちがいる中、このまま東京にいていいのか?と思ったんです。これからの人生は福島に戻って、地元のためにやれることをやろう、と」
そのかたわら、代表の料理も作り続けている西さん。今年1月には、嬉しいことがありました。
リオオリンピックの最終予選を兼ねた、U-23アジア選手権に同行したときのことです。
オリンピック代表は、若い選手が多く、食べる量が多いので、西さんはいつもホテルに残ってたった一人で選手たちの食事を作りながら、代表の試合をTVで観ています。そんな中、手倉森(てぐらもり)監督に「決勝は観に来てよ」と招待され、スタジアムへ。
日本が勝って優勝を決めると、ピッチに呼ばれ、選手たちと抱き合って喜びました。
「選手たちが『西さん、トロフィー持ってよ。優勝は西さんのお陰だから』って言ってくれて… なんだ、コイツら、できた人間じゃないかって(笑)」
「自分の作った料理が、日本代表の“最後の一歩”を踏み出す力になれば、と思って、いつも厨房に立っています。それで被災地を勇気づけることができたらいいですね」
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