現地時間28日、コロンビアのメデジンへ向かっていた航空機が墜落。ブラジル1部のシャペコエンセの選手などが死亡し、世界のサッカー界は大きな衝撃を受けました。
日本でも、かつてJリーグでプレーした選手や、2009年に神戸を指揮したジュニオール監督も犠牲者に含まれていただけに、哀悼の意を表しています。
その中に12年からJリーグで3年間プレーし、13年にはJ2千葉で得点王になったエベルトン・ケンペス選手がいました。
ケンペスが来日して、最初に所属したのはJ1だったセレッソ大阪。当時、2トップを組んでいたのが柿谷曜一朗。事故で死亡のニュースを伝えられると、思わず絶句し、
「12月4日の試合に勝つことだけを今は考える」
と口を開いただけです。
振り返ってみれば、ケンペスは柿谷の才能を誰よりも高評価していた選手。「ヨウイチロー」と、まるで幼なじみのように親しげで、
「世界一のテクニシャンだ。あれだけ、うまいフォワードをブラジルでも見たことがない」
と語っています。
その柿谷。関東では、すでに過去の人の扱いですが、関西では抜群の人気を誇っています。
14年ワールドカップブラジル大会の後、スイスの強豪、バーゼルへ完全移籍。4年契約という破格の待遇でしたが、故障などのために全く力ができません。
それどころか、チームでは干されるという憂き目をみて、Jリーグ復帰を熱望。バーゼルからセレッソ大阪は、1,000万ユーロ(約13億5,000万円)という移籍金を要求されたもののもちろん、支払えるわけがない。
結局、拝み倒した形で今季から3度目の復帰。J1昇格の切り札的な存在でした。
チームは勢いが戻り、3月の開幕から好調だったものの、柿谷が6月9日の長崎戦で右足関節じん帯を損傷。長期離脱となってしまった。そのためチームはリーグ4位に。
本来ならリーグ2位以内で自動昇格を狙っていましたが、J1昇格プレーオフへ回り、準決勝を経て、4日は岡山と決勝を迎えます。
「サッカーを今、できることが当たり前ではない。(ケンペスへ)昇格を届けたい」
柿谷は静かな闘志を燃やしています。
以前は、ファンから、色紙を手渡されると、『大阪のクソガキ 柿谷曜一朗』とサインをする、やんちゃな一面がありましたが、セレッソ大阪は、セレ女と呼ばれる女性ファンが多いことで知られるクラブのひとつ。
柿谷はチームナンバーワンの人気者です。大隈監督から直々にキャプテンを拝命しただけに、今では性格までも大人になりました。
「痛めた右足は、まだ違和感がある」といいながらも、プレーオフ決勝で大活躍しなければ、男が立ちません。
12月1日(木) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」