それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
ハヤブサの写真で世界的に知られる、野鳥写真家の熊谷勝さん。
よく「どうして鳥の写真を撮るんですか?」と聞かれます。
詳しく話すと長くなるので、いつも、こう答えているそうです。
「わたし、酉年生まれなんですよね。」
これでほとんどの人は「なるほど!」と納得します。
熊谷勝さんは昭和32年岩手県一関市生まれ現在59歳、酉年生まれの年男です。
10人兄弟の末っ子で小さい頃からちょっと変わった子供でした。
たとえば『鎖に繋がれている犬はどんな気持ちなんだろう』と、ズボンのベルトを首に巻き、タンスの取っ手に縛り付け、1日犬になりきり、ご飯も手を使わず口だけで食べてみました。
犬というのは、実に不自由な生き物だと分かって、自分が犬を飼う時は鎖に繋ぐのはやめようと思ったそうです。
テレビ時代劇「隠密剣士」の虚無僧(こむそう)……大きな編笠をかぶり、尺八を吹きながら、全国を行脚する姿がカッコよく見えました。
『自分も虚無僧になりたい』と大きなザルを頭にかぶり、ホーホーと尺八を口真似しながらその辺を歩き回るので「あの子はちょっと変だよ」と噂が立ったそうです。
「母親は、世間体を気にしていましたが、明治生まれの父親は孫のように可愛がってくれました。
父は猟師をしていたので、山で出遭った動物や罠で捕まえた獲物の話を、夜中によく話してくれて、それをわくわくしながら聞いたものですよ。」
小学校に入ると、鳥の絵をよく描いていた熊谷さんに、お兄さんが「こんな絵もあるぞ」と、水墨画の画集を見せてくれました。
その中に宮本武蔵が描いた眼光鋭いモズの絵がありました。
『剣の達人は、絵もすごいんだ』と子供心に衝撃を受けます。
中学生になって、図鑑で「動物写真家」の存在を知ると、空を自由に飛ぶ鳥の写真を撮ってみたい!それも、宮本武蔵が描いたモズのような、誰も撮れない写真を!と思うようになりました。
それまで高価なカメラは手にしたこともありませんでしたが、一眼レフのカタログを集め知識だけは一人前でした。
高校を卒業した熊谷さんは、陸上自衛隊に入隊します。
写真班というのがあって、一から勉強ができると聞いたからです。
「仙台駐屯地の写真班に配属され、自衛隊の演習やお祭り、イベントの撮影、隊員の証明写真など、忙しく働きましたね。でも、休みの日は、仙台市の動物園で1日、動物ばかり撮影していました。」
その後、自衛隊を除隊した熊谷さんは北海道の室蘭に移り住みます。
鉄の街だから野鳥は少ないと思っていたところ、意外にも海に突き出た断崖絶壁が世界でも有数のハヤブサの生息地でした。
「室蘭にハヤブサがいると知った時は嬉しかったですね。子供の頃父から聞いた、ハヤブサがキジを襲う話が蘇ってきました。」
当時、ハヤブサの写真集は誰も出していなかったので『これは、神様がくれたチャンスだ!』と思った熊谷さん。
さっそく撮影に取り掛かりますが、困難の連続でした。
ハヤブサは高さ100mほどの断崖に巣を作っていて、熊谷さんは崖の窪みに身をひそめ、朝から晩までシャッターチャンスを待ち続けました。
10年かけて撮ったハヤブサの写真は、1991年写真集になり大きな話題を呼びました。
その後、北海道の野鳥を撮り続けてきた熊谷さんの、最新の写真集は意外にもスズメ。
「スズメはどこにもいる鳥ですが撮影すると逆に難しいんです。地味な茶色で緑の季節には目立たないのでほとんど冬に撮りました。テーマは『竹とスズメ』。竹とスズメと雪の写真集は、日本で初めてだと思います。」
なんでもない鳥を、なんでもない場所で、なんでもある写真にしたい、これが今年、酉年のテーマだそうです…
熊谷勝さんは、今日もどこか、北海道の厳しい自然の中で、逞しく生きる野鳥のシャッターチャンスを狙っています。
2017年1月4日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より
朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ