豊橋駅「稲荷寿し」(520円)~豊橋が誇る伝統の駅弁!【ライター望月の駅弁膝栗毛】

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313系電車、東海道線・弁天島~新居町間

313系電車、東海道線・弁天島~新居町間

浜名湖を渡っていく東海道線の313系電車。
東海道線の浜松~豊橋間は、およそ20分おきの運行。
名古屋の車両と、静岡の車両がランダムにやってくるのも特徴です。
見た目は同じ顔の313系電車でも、名古屋の車両ですと転換クロスシート。
静岡の車両ですと通勤形のロングシートで、東西の座席の違いを体感できる区間です。

牛川の渡し

牛川の渡し

鉄道は「鉄橋」で川や湖を難なく越えていきますが、昔の川は大きな難所でした。
多くは「渡し舟」で越えていた訳ですが、愛知・豊橋を流れる「豊川(とよがわ)」には、平安時代には既にあったと云われる「牛川の渡し」が今も残されています。
看板に取り付けられた木板を、備付けの木槌でコンコン!と鳴らすと対岸から舟が・・・。
しかもこの渡し舟、豊川の水深が浅いため、今も「手漕ぎ」なのです。
(参考:豊橋市ホームページ

稲荷寿し

稲荷寿し

豊橋市は、旧東海道の「吉田宿」を基に発展した街です。
江戸時代、旧東海道は「吉田大橋」で豊川を渡っており、明治以降、この橋は「豊橋」と呼ばれるようになりました。
そんな「豊橋」の近くで、回漕問屋と料理旅館を経営していたのが「壺屋」。
この「壺屋」が明治21(1888)年、東海道線の開通に合わせて豊橋駅前に移転し、駅前旅館として、豊橋駅の構内営業権を得て、駅弁に参入しました。
その後、大正時代に駅弁部門が独立して「壺屋弁当部」に・・・。
そんな豊橋駅弁「壺屋弁当部」の看板駅弁は、何と言っても「稲荷寿し」(520円)です。

稲荷寿し

稲荷寿し

初代の方が考案された豊川稲荷のお膝元らしい「稲荷寿し」。
掛け紙には鳥居と狐が描かれていますが、豊川稲荷って曹洞宗のお寺なんですよね。
ただ、江戸時代までの日本は「神仏習合」だったことを鑑みれば、庶民の感覚としては、当たり前のイメージかもしれません。
その意味ではコレ、江戸時代までの日本の信仰風景が伺える貴重な掛け紙に感じます。
そんな掛け紙を外すと、折詰からは稲荷寿し7個と紅生姜が現れます。

稲荷寿し

稲荷寿し

1つ1つ手作業で作られているという「壺屋弁当部」の「稲荷寿し」。
お揚げは1枚を半分に切って、熱湯で油抜きをしてから、地元産の醤油と白ザラメを使って甘く仕上げられているそうです。

明治時代から東海道を旅する人に愛されてきた、壺屋弁当部の「稲荷寿し」。
人生は旅に例えられますが、人生経験を積むことを「酸いも甘いも噛み分ける」ということを考えれば、酢飯とお揚げの「稲荷寿し」を食べることもまた人生。
それゆえ「稲荷寿し」は旅にシンクロしやすく、ロングセラーになりやすいのかも。

過去と現在、神道と仏教、クロスシートとロングシート、色んなものが入り乱れる「豊橋」。
市内には、動物園、植物園、遊園地、自然史博物館までもが一緒になった「のんほいパーク」という人気スポットもあります。
ジワジワ来る豊橋のカオス的な魅力と共に、酢飯とお揚げの甘みを感じたいものです。

(取材・文:望月崇史)

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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