紀元前の頃、中国から日本に稲作が伝わって来ました。それによって日本人の食生活は、お米が中心になりました。当時のお米の調理法ですが、諸説ある中、当初は土器で煮て調理していて、その後、蒸すようになった・・・という説が一般的だそうです。
その蒸し方ですが、『甑(こしき)』と呼ばれる土器が使われていたと考えられています。この『甑』は、底に湯気を通すための小さな穴がいくつも開いた、深めの鉢のようなイメージです。そこにお米を入れて、湯の入った釜の上に置いて蒸していたそうです。そんな『甑』ですが、8世紀の奈良時代の頃になると、木製のものも登場しました。これが後の『蒸籠(せいろう・せいろ)』になったそうです。
このように蒸して出来たご飯のことを『強飯(こわいい)』と言いました。この『強飯』ですが、粘り気がなくて固かったそうです。
今のように“お米を炊く”という調理法は、平安時代に羽釜が登場してから・・・と言われています。羽釜には竈(かまど)にかけて使う時に使いやすいように、胴の部分に羽、いわゆる鍔(つば)が付いています。
鉄の釜は中国から伝わって来ましたが、その釜には羽の部分がありませんでした。そのため、竈にはめ込んだ時、持ち手である羽が無いので取り外すのが大変でした。そこで取り外しが楽で、釜を洗う時にも便利なように羽を付けることを考えたそうです。ですので、この羽釜は日本人の知恵から生まれたものです。
(2018年4月9日放送分より)
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