中曽根康弘元総理とはどんな政治家だったのか
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5/28 FM93 AM1242ニッポン放送『飯田浩司のOK! Cozy up!』今日の聴きどころ!④
キーワードは「中曽根康弘元総理~100歳を迎える」
7:27~教えて! ニュースキーワード:コメンテーター須田慎一郎(ジャーナリスト)
初当選の時点で「総理大臣になったら何をやるか」を書き留めていた
中曽根康弘元総理が昨日100歳を迎えた。中曽根さんは「大正・昭和・平成の3つの時代を生き、新たな元号も始まる。4代を生きることに、誠に深い感慨を覚える」とコメントを発表した。
飯田)大正7年生まれで、100歳を迎えたとのことです。須田さんはお会いしたこと、ありますか?
須田)何度もあります。国会議員の現役時代もあるし、最近では10数年前。中曽根さんは軽井沢に別荘を持っているのですが、そこの庭でインタビューしました。「こんなにいい環境なら長生きも当然だな」と思いましたね(笑)。
頭は非常にキレる人でした。何よりも私の胸に残っているのは、この人は昭和22年に初当選したのですが、当時は1つの選挙区で複数の当選者が出る中選挙区制でした。しかも、群馬は保守の激戦区だった。そのなかで中曽根さんが当選するのに、「地盤も看板もないなかで、苦労した」という話と、初当選の時点ですでに、「将来総理になったら何をやるか」をノートに書き留めていた。「その当時から総理になることを目指して、自分は政治家をやってきた」と話をしていました。志が高いなぁ、と思いましたよ。風見鶏と呼ばれた政治スタイル
飯田)もともと、中曽根さんは内務官僚でいらっしゃった。それで、海軍に主計官で入り、戦争の現場にも行かれていた。
須田)その点で言うと、軍人という点においては本職ではないけれど、東京帝国大学(現・東京大学)を卒業して内務省入りというのは、当時としては旧大蔵省よりも遙かに格上のエリート中のエリートだった。そして、海軍主計少佐ですからね。その点では、官僚としても日本を代表するエリートだった。そして、政治力の点でも後に「風見鶏」と言われて、もともと自民党内でも、主流派ではなく、少数派閥の傍流だった。そのなかで、「総理まで上り詰め、必ず政局の中心にいる」という点では、政治力の点でもバツグンでしたね。
飯田)「三角大福と呼ばれた時代でした。“三”木武夫さん。田中“角”栄さん。“大”平正芳さん、“福”田赳夫さんたちがいた時代に、中曽根さんはどこに付くとも付かないとも、という感じで風見鶏でした。
最後は小泉純一郎氏に引導を渡された
須田)中曽根さんの次の総理が竹下登さん。いろいろ一悶着あったうえで、竹下さんになりましたが、結果的に経世会に対して影響力を持った点で、その後も政治力を残していく。ただ、結果としてそれで引導を渡された。つまり、小泉純一郎さんのときです。小泉さんは反小沢。つまり反経世会ですから、その点では経世会の影響を削ぐために、小泉さん自身が定年制を主張し、中曽根さんに引導を渡しに行った。政治の世界では攻守入れ替わっていくのですね。
飯田)因果が巡るというか、ね。中曽根さんは「次の元号も」と仰っていまして。すると、元総理でいちばん長いのが、東久邇宮稔彦王102歳没というのがあるので、ここもきっと意識していますよね。
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