北海道胆振東部地震 被災地を歩く(1)【みんなの防災】
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【報道部畑中デスクの独り言 第82回】
ニッポン放送では9月1日の防災の日、特別番組を放送しましたが、週が明けたその後、台風21号、北海道胆振東部地震と、大きな災害が立て続けに発生しました。北海道の地震については発生翌日、飯田浩司アナウンサーとともに現地に向かいました。
今回の地震での犠牲者は41人に上りました。このうち、36人が亡くなった厚真町の土砂災害現場、轍のある狭い農道を通って目にした光景は、自然がひとたび牙をむけば、その前には人間は無力であることを改めて感じさせるものでした。
最も大きな被害が出た吉野地区、山肌から見えるこげ茶色から黄土色の濃淡のグラデーションは、山が表面の土だけではなく、中の地層をも根こそぎ引きずり下ろしたことを示しています。その麓には大量の土砂に樹木が埋もれ、倒壊した家屋もそこに含まれます。家具などの家財道具ものぞいていました。台風21号の影響もあってやわらかくなった土壌の下、自衛隊・警察・消防などが注意深く活動を行っていました。
一方、同じ厚真町でも上流の幌内地区、町内を走る厚真川には大量の土砂が流れ込んで川をせき止め、「土砂ダム」をつくっていました。先の台風21号は北海道にも大雨をもたらしましたが、さらに雨が降れば新たな土砂崩れ、川の氾濫などの二次災害が懸念されます。
ここでは十数台の重機が「バケツリレー」のごとく土砂を除去する光景がありました。現場では時折雨が降っていましたが、「雨よ、これ以上降らないでくれ」…重機のクレーンのアームはそう祈っているように見えました。
被害があった山はどれも100mほどの高さですが、そこに繁る樹木は白樺やスギといった細く長い木々です。火山灰を主体とした脆弱な地盤とともに、被害がもたらした原因とみられます。
厚真町役場の周辺には様々な施設が集まっていました。自衛隊の前線基地にもなっていましたが、その中の一つ、総合福祉センターには避難所が設けられ、町内で最も多い人々が身を寄せていました。床に薄いマットを敷いて座り込む形、腰痛を持つ高齢者には厳しそうです。
また、西日本豪雨の時は空調設備がクローズアップされましたが、ここには空調装置はありません。北海道内、節電が呼びかけられてはいますが、避難が長期化すれば、空調やプライバシー確保など、環境の整備も必要になってくるかもしれません。
物資の面では不満の声はあまり聞かれません。食料についてはピザや北海道産の牛肉を使ったサイコロステーキも振る舞われ、食欲をそそる香りに住民から笑顔もこぼれていました。ただ、断水が続いていることで、入浴や洗濯はできません。給水車からは常時、水を受け取ることができましたが、厳しい状況は続きます。
こうした中、地震発生から3日目の8日夕方には自衛隊による入浴支援が始まります。「“地獄に仏”とはこういうことでございますわよ」…入浴後の女性がうれしそうに話していました。
避難所は地震発生から日も浅く、住民の方々もまだ気が張っているからか、むしろ「和気あいあい」とした感じで、悲壮な雰囲気はありませんでした。しかし、避難が長期化するにつれて人の心や環境が変化するのは、これまで起きた幾多の災害が物語っています。住民の中には地盤が下がって家が傾いてしまった人もいます。
また、厚真町は稲作地帯、これまでの天候不順に今回の地震で稲が押しつぶされた場所も多く、収穫は厳しくなりそうです。避難している人たちの心がこれ以上、折れることのないよう、私どもメディアも含め、多くの人が支えていく必要があります。
(その2に続きます。画像はすべて9月8日撮影のものです)