【報道部畑中デスクの独り言 第83回】
最大震度7を観測した北海道胆振東部地震は、都市部でも大きなつめ跡を残します。札幌市の東部、清田区では液状化の被害がありました。ここの震度は5強、住民は「経験したこともない揺れだった」と話します。
住民によると、この地域には以前、川があって埋め立てられたといいます。沢があった湿地帯に火山灰を含む土で盛り土をした地域で、2003年の十勝沖地震の時も付近で液状化が発生したといいます。
周辺は「ニュータウン」と呼ばれるような新興住宅地。現場では比較的新しい建物が角度にして30度近くも傾き、無残な姿をさらしていました。
道路にはアスファルトの断面がむき出しになるほどの亀裂が入り、大きく陥没。周辺の電柱も傾き、垂れ下がった電線が大きな弧を描いていました。周辺の道路も液状化による土砂にふさがれ、現在も波打っているところがあります。
9月9日には安倍首相が現場を視察しました。口を堅く結び、厳しい表情の安倍首相は関係者に対し、被害を受けた住民の仮設住宅の整備を求めました。今回の被害は住宅単体ではなく、地盤そのものの問題であるだけに、根本的な復旧には時間がかかりそうです。
地震後、設けられた避難所は当時3カ所(9月11日には2カ所に集約)、住み慣れた場所の惨状に「こんなことが現実にあるのか…涙が出た」と住民は話します。また、家の電気・水は復旧しているものの、余震による二次災害を恐れ、避難所に身を寄せている人もいます。
液状化の現場には「怖くて行けない」…1歳半の子供を持つ母親の声です。子供も環境の変化に便秘気味だと話します。「自分の家に戻りたいけど怖い、どうしようか」…こう苦悩する高齢の女性は一人暮らしでした。
厚真町の西隣、震度6強を観測した安平町の被害も深刻です。早来地区、国道234号線=通称早来国道から少し入ると、レンガ造りの建物が激しく崩れ、危険を示す「赤紙」が貼られていました。
「もう疲れたよ」…付近の建材店の店主がぽつりと漏らしました。地域密着を身上とするこの店は店主が三代目、地震直後から店を開けています。発生時は商品という商品が棚から飛び出し、店内は足の踏み場もないほどの惨状に。
しかし、建材店だけに災害復旧に必要なブルーシート、水道管の部品など、避難住民だけでなく、行政の関係者もひっきりなしに訪れます。復旧には欠くことのできない店と言えます。
店頭には給水用のポリタンクが売られていましたが、方々に連絡し、ようやく300近く仕入れたタンクは残り20ほどになっていました。その仕入れも携帯電話がなかなかつながらず、取引先の手配は難航を極めたといいます。基地局のバッテリーが一時切れたということで、ここにも停電の影響がありました。
店主は自らも被災者でありながら地震後も休みはなし。支援物資を避難所に取りに行ったり、持病の薬を病院に受け取りに行く暇もないと話します。安平町の断水はほぼ全域で続き、苫小牧や千歳のコインランドリーまで足を伸ばす人もいるということです。
安倍首相は午前の札幌市清田区の後、厚真町を視察。安平町では高橋はるみ北海道知事、厚真町の宮坂尚市朗町長、安平町の及川秀一郎町長、むかわ町の竹中喜之町長が意見交換を行いました。
「すさまじい被害のつめ跡を目の当たりにした」と話す安倍首相に対し、知事と三町長はライフラインの早期復旧や計画停電の慎重な対応、激甚災害の指定などを要望しました。
意見交換後、知事と三町長は記者団の取材に応じましたが、終了後、むかわ町の竹中町長が絞り出すような声で「がんばろう!」…こう呼びかけた言葉が心に刺さりました。(了)