雑誌ジャーナリズムの旗手 新潮社の休刊問題を花田紀凱が語る
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「須田慎一郎のニュースアウトサイダー」(10月27日放送)に、月刊Hanadaの編集長である花田紀凱が出演。新潮45の休刊問題が取り上げられるなか、月刊Hanada 12月号で特集を予定しているこの問題について語った。
月刊Hanadaの編集長 花田さんが語る新潮45休刊問題
東島)花田さんは東京都のご出身で、1966年に文芸春秋社へ入社。あの「週刊文春」を週刊誌売上トップへと育て上げられました。ご自身が手掛けた月刊誌が廃刊に追い込まれるという経験もお持ちです。退社後は月刊WiLLの編集長などを経て、現在は月刊Hanadaの編集長をされています。
須田)このタイミングで花田さんをお呼びしたのは、花田さんにぜひ伺いたいな! というテーマがありまして。新潮45の休刊問題なのですが、あれだけ大きな問題になっていながら、ほとんどメディアではその裏側について取り上げられていない。月刊Hanadaの12月号では84ページもの大特集が組まれているのですが、そのあたりも踏まえてたっぷり伺って行きたいと思います。
花田)言論の自由に関わる大問題なので。どこも新聞社が取り上げないのはおかしいなと。
雑誌ジャーナリズムの旗手を担ってきた「戦う新潮社」
須田)もう1点不思議でならないのが、いとも簡単に新潮社が白旗を上げたという点。意外だと思うのですが。
花田)新潮社というのは雑誌ジャーナリズムの旗手ですよね。文芸春秋と新潮社が雑誌ジャーナリズムを担ってきたわけです。そして、どちらかと言うと新潮社の方が腹が座っているのですよね、はっきり言って。
須田)「戦う新潮社」ですよね。
花田)そうです。 斎藤十一さんという方が週刊新潮を創刊した。そのときには「自分も俗人だ。俗人が興味を持つのは金と女と事件だ! これが週刊新潮のテーマだ」と。腹が座っているわけです。それで大成功した。彼が生きている間、彼の薫陶を受けた役員たちがいる間は、しっかりしていたのです。
雑誌は「広場」なのです。Aの意見があって、Bの意見がある。戦わせればいいのですよ。戦わせて、読者が読んで、判断をする。その材料を提供するのが雑誌ですから。
経営困難にあった? 昨今の新潮45の置かれた状況
須田)一説によると、新潮45の経営自体があまり上手く行かずに、ずっと赤字が続いていた。だからこれを機会に休刊、という見方もありますが。
花田)新潮45は、創刊したときは「45」歳がメイン読者だったのです。健康と人生の雑誌だった。でも最初の1985年ごろは売れず、斎藤十一さんが「俺がやる!」と乗り出して、それでああいう雑誌になったのです。
ある時期、「新潮45は上手くすると文芸春秋のライバル誌になれるな」と思うときもあったのです。ですが全然売れていなくて、当然大赤字ですよ。しかも新潮45は流石にいい筆者を起用しているので、大変ですよ。だからなおさら赤字だと思います。
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須田慎一郎のニュースアウトサイダー
FM93AM1242ニッポン放送 日曜 18:50-19:20