名作「北の国から」への想いと時代劇を手がける理由とは?
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「須田慎一郎のニュースアウトサイダー」(3月2日放送)に、日本映画放送株式会社社長・杉田成道が出演。杉田氏が制作した「北の国から」や、現在力を入れている「時代劇」などについて語った。
名作「北の国から」への想い、時代劇を手がける理由とは?
東島)杉田さんは1943年、昭和18年生まれ。愛知県豊橋市のご出身です。生家は江戸時代から続く老舗の酒問屋だとか。慶應義塾大学文学部を卒業されてフジテレビへ入社。報道志望でしたがドラマ制作に配属。一時期、産経新聞へ社会部記者として出向されましたが、局への復帰後は一貫してドラマ制作に携わり、数々の作品を手がけられています。あの「北の国から」で名実ともにフジテレビの看板ディレクターとなられました。現在は日本映画放送株式会社の社長でいらっしゃいます。社長ですが、まだ現役の監督でもいらっしゃるのですよね。
須田)今回は、ドラマの演出家でもあり、日本映画放送の経営者として辣腕をふるっていらっしゃる杉田社長に、最近の時代劇と衛星放送のことなど、いろいろ伺って行きたいと思います。杉田さんが社長に就任されて、会社が黒字になって来たとか?
杉田)いやいや、もうたまたまですね。多チャンネル放送が右肩上がりのところに前社長がフジテレビの社長になって、「お前、やれ」と言われてなっただけで、本当になんちゃって社長でございまして。いちばん初めに、当時のフジテレビの会長から言われたのが「何もするな」、そして「歩く広告塔になれ」、そして「女子社員が多いから女子社員に気に入られるようにしろ。ただし気に入られすぎるな」ということでした。それで何となくなって、何となく来た感じでございます。
須田)今回の収録、僕は感激しています。過去を振り返るようで嫌なのですが、「北の国から」! よかった〜!! 本当に何であれほど感情移入ができたのかなというくらい、不思議なドラマでしたね。
杉田)不思議でしたね。僕らも作っていて不思議だったのですけれど。あれは「北の国から」という霊が作っていたというね。作家の倉本さんも我々も、その霊に引きずられてやっていた感じがしますね。22年続きましたからね。
須田)まだまだ続編を見たかったな。あの辺がちょうどいいキリなのですか?
杉田)そうですね。いろいろな意味で一区切りがつきました。同じスタッフでないと俳優さんも出ない、ということがあって。家族のようにやって来たので、そのなかで俳優さんもお亡くなりになったり、これ以上は難しいという状況になったことは確かですね。
須田)当時はドラマを見て泣くことがよくあったのだけれど、最近はそういう感激・感動はなくなって来たのですかね?
杉田)その場合のドラマは、地上波のドラマということですよね? 地上波ドラマはこの10年、変質して来たような感じがします。1つは、刑事ドラマとか医者モノにほとんど占領されていて、昔は「北の国から」のようなホームドラマが王道でした。それがほとんど姿を消して来て、核家族とかいろいろな原因がありますけれども、逆に数字を取りに行くために視聴者に対して「これでもか、これでもか」という部分が多い気がして。作る側が視聴者を引っ張って行くような、「こういうものをやりたいんだ」という意思を感じられるドラマが少なくなって来ました。もちろん、ないわけではありませんが。
須田)最近は「時代劇」に強いこだわりを持っておられるのですか?
杉田)私のところでは「時代劇専門チャンネル」と「日本映画専門チャンネル」をやっていますけれども、2010年に「最後の忠臣蔵」という映画を役所広司主演で作ったのです。そのときに京都の太秦の撮影所に行きまして、いちばん驚いたのはスタッフが80代。若くても60代。40~50代が全くいないのですよ。時代劇が地上波から消えちゃって、いまはほとんど作られていないため、みんな仕事がなくてタクシーの運転手や農家で常に臨時雇いでないと生活ができない。そうすると家庭がある人たちはだんだんと苦しくて、歯抜けのように抜けて行ってしまった。
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須田慎一郎のニュースアウトサイダー
FM93AM1242ニッポン放送 日曜 18:50-19:20