なぜ「ペンシルロケット」を作ることになったのか?
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工学者で、小惑星『イトカワ』の名前の由来にもなった糸川英夫さんですが、飛行機の開発に情熱を燃やして、民間の飛行機製造会社に入社しました。そこで飛行機の設計をしていましたが、戦争が始まると戦闘機の開発を命じられました。ところが戦争が終わると、飛行機の研究が禁止となってしまいました。
失意のなか、糸川さんは『脳波の診断器』開発の依頼を受けて研究を進めていたところ、その業績が認められ、アメリカ・シカゴの大学で講義をするようになりました。
その大学で糸川さんは、アメリカが“人間をロケットに乗せて宇宙へ送り出す計画”を進めていることを知りました。それをキッカケに飛行機を研究していた頃の楽しさを思い出して、「ロケットをこの手で作ろう!」と決意しました。
そして予定を繰り上げて、1953年(昭和28年)に帰国した糸川さんは、ロケットの研究チームを作りました。こうして糸川さんを中心に“宇宙をめざす日本のロケットの研究”が本格的にスタートしました。
当時“超高速で飛べるロケットを作って、太平洋を20分で横断する”という目標を立てましたが、予算や資源の関係で難しかったそうです。それでも研究を進めた結果、直径1.8cm、長さ23cm、重さ200gの小型ロケットの開発に成功しました。この小型ロケットは、ペンシル(鉛筆)に似ていることから『ペンシルロケット』と名付けられました。
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