ニッポン放送「週刊 なるほど!ニッポン」(3月1日放送)では、「長谷川町子先生、生誕100年! 桜新町でお馴染みの『サザエさん通り』が福岡にもある!?」というトピックスを紹介した。
2020年は、国民的アニメ「サザエさん」の原作者である、長谷川町子先生の生誕100年。
それを記念し、漫画「サザエさん」全68巻が27年ぶりに復刊する。さらに4月14日には、東京・桜新町にある「長谷川町子美術館」の別館として、「長谷川町子記念館」が開館予定となる。
桜新町といえば有名な「サザエさん通り」だが、実は福岡市にもあるとのこと。長谷川町子先生にとって、福岡はどんな場所だったのだろうか? 福岡商工会議所の三角薫さんに、立川晴の輔が話を伺った。
晴の輔:福岡の「サザエさん通り」は、どの辺りにあるのでしょうか?
三角:福岡市の西部に位置する早良区の西新から、ももち浜までの約1.6キロの通りです。
晴の輔:福岡の「サザエさん通り」には、何かモニュメントがあるのですか?
三角:長谷川町子先生とサザエさんの銅像が2体並んで、名所になっております。
晴の輔:なるほど。そもそも、サザエさんと福岡のつながりは?
三角:サザエさんの作者である長谷川町子先生は、100年前の1920年1月、佐賀県多久市に生まれました。町子先生が幼少期のころ、福岡市の、いまの中央区渡辺通りに転居されたそうです。それから長谷川家はいまの早良区百道に家を建てられ、ご両親と3人姉妹の一家団欒で過ごされた。しかし、1934年にお父さんがご病気で亡くなられると、親戚を頼って一家で上京されます。
晴の輔:1回、東京に来られているのですよね。
三角:当時の大人気漫画である『のらくろ』の作者、田河水泡先生の内弟子となりまして、女流漫画家・長谷川町子が東京で誕生しました。
三角:そのうち東京も戦争が激しくなり、疎開先が福岡百道の家でした。そして終戦の翌年、1946年に福岡の地元紙『夕刊フクニチ』から漫画掲載の依頼があり、そこで考案されたのが『サザエさん』です。
晴の輔:百道が発案の地なのですね。
三角:当時の百道は白い砂浜が続く、美しい海岸線でした。町子先生は妹さんと海岸を散歩しながら、新しい連載漫画の登場人物にサザエ、カツオ、ワカメなど、海に因んだ名前を発案したと自叙伝に書いておられます。
晴の輔:だから登場人物の名前が海の幸なのですね。どのような暮らしをして、海を感じて来たのか…。長谷川町子先生にとって特別な場所なのでしょうね。
三角:百道は町子先生にとって、家族一緒に幸せに過ごした大切な想い出の場所であり、また戦争が終わって厳しい生活をしながらも、やっと安らかに暮らすことができるようになった平和の町だったのです。これは町子先生が『サザエさん』の作品のなかで、一貫して日々平和に、ほのぼのとした家族の出来事を中心に描いて来られたことにつながっています。
晴の輔:『サザエさん』は、どこかで「平和」や「家族」などが奥深いテーマとしてあるのでしょうね。福岡の「サザエさん通り」の今後はどうですか?
三角:長谷川町子先生の生誕100年を記念して、『サザエさん発案の地記念碑』があります。そして『磯野公園』に、新たに『サザエさん』『カツオ君』『ワカメちゃん』の3体の銅像を3月末までに建立するべく、ふるさと納税を活用して募金活動を行っております。
三角:古い町並みと新しい町並みを、歩いて楽しんでつなげたいという思いを込めて、『サザエさん通り』としております。このエリアは、北は海岸線からIT企業が林立するオフィス街、途中には図書館や博物館があり、大学や小中高校、商店街などもある福岡市では大人気のスポットです。私が2003年当時に赴任して、地域活性化をやろうと始めたのですが、当時はここが『サザエさんの発祥・発案の地』ということを知っている人はいませんでした。
我々は百道がサザエさん発案の地であることを、まずは地元の人に知ってもらおうと、2007年4月に町子先生が住んでおられた自宅の傍に、産学官民が一体となって『サザエさん発案の地記念碑』を作りました。偶然にも、そこは『磯野広場』という公園だったのです。いまでは町子先生が散歩されていた海岸線は埋め立てられ、約1Km先のももち浜まで行かないと海はありません。
晴の輔:もしかすると、サザエさんの「磯野家」は広場の名前から取ったのですか?
三角:それは違うと思います(笑)。公園ができたのは埋め立てが終わってからですので、当時はありませんでした。
晴の輔:「磯野広場」という名前は、特に関係ないのですか?
三角:はい、市役所で付けられたものです。また、先ほどお話しさせていただいた『サザエさん』『カツオ君』『ワカメちゃん』の3体の銅像ですが、2020年3月末までにふるさと納税を活用して募金活動を行っています。予定通りに行けば、秋ごろに銅像が完成します。1万円以上をご寄付いただきましたら、『芳名板』にお名前を載せさせていただきます。
晴の輔:3人の銅像ができたら、町の「幸せ感」が増しますね。
三角:今後もサザエさんメンバーの銅像が増えて、町全体がサザエさんの漫画のように、ゆかいで楽しく誰もが住んでみたい、また訪れてみたいという町になるように、私も引き続き活動をして行きたいと思います。
三角:我々は地域の活性化をする上で、長谷川町子先生の想いが詰まったこの町に、何か町子先生やサザエさんの足跡を残し、街づくりに活かしたいと活動をして来ました。2003年12月、東京都桜新町の「長谷川町子美術館」へご訪問して、当時の川口淳二事務局長にご相談をしたわけです。
そのとき、すでに町子先生は亡くなっておられましたが、町子先生と常に行動を共にされていた川口事務局長は、我々の気持ちを大変ご理解下さいました。そしてサザエさん発案の碑の設置からはじまり、福岡市百道にサザエさん通りの実現や、長谷川町子先生とサザエさんの銅像の建立をご支援くださっています。
晴の輔:許可を得るというより、協力していただいているのですね。それで2つの「サザエさん通り」の交流がある。
三角:いまでは商店街同士の交流をしています。桜新町で『さくらまつり』や『ねぶた祭』をやっているところへ行ったり、こちらの商店街でイベントがあるときには、あちらから来られたりしています。
晴の輔:長谷川町子先生がつないでくれた縁ですね。