かつてのZの拠点……日産車体という会社

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「報道部畑中デスクの独り言」(第182回)

ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、日産自動車のグループ会社「日産車体」について---

神奈川県平塚市にある日産車体・本館

新型コロナウイルスの感染拡大が自動車業界にも影響を及ぼしていることは、小欄でもお伝えしました。

日産自動車も国内外で一時、生産調整を強いられ、2月の中国での新車販売は昨年(2019年)の2月に比べて80%以上の減少。件の経営混乱による業績不振も相まって、厳しい状況が続いています。

ところで、日産自動車には日産車体というグループ会社があります。自動車業界はご存知のように裾野が広く、完成車メーカーを頂点に一次、二次、三次と、部品メーカーがピラミッドのように広がっています。

また、少量生産の車種についてはメーカー本体ではなく、関連の車体メーカーに生産、場合によっては開発まで委託するメーカーもあります。日産車体はその1つ。業界では同じ日産車でも、本体の生産は「日産」、日産車体の生産は「日車」と呼ばれます。日産車体も新型コロナウイルスの影響で一時生産調整、工場見学見合わせを強いられました。

入口には日産のマーク 日産グループであることを物語る

日産車体は1937年に創立された日本航空工業が前身。戦前はスバルや旧プリンスと同様、飛行機メーカーでした。

戦後は新日国工業などと社名を変えて鉄道車両、自動車分野に転換。日産とはバスの車体受注で接点を持ちますが、1951年、警察予備隊の要望を受けて日産が開発した4輪駆動車の生産を委託され、これを機に日産グループ入りします(車両は「パトロール」と名付けられ、現在も海外向けSUVとして日産車体が生産)。

その後、日産車体工機を経て、1971年に現在の社名となるわけです。ちなみに、トヨタ自動車にもトヨタ車体という会社がありますが、こちらはトヨタ自動車本体(当時はトヨタ自動車工業)から分離独立して誕生した企業です。

日産グループに入ってからはパトロール、小型トラックのダットサン・ピックアップなど主に商用車を担いますが、特筆されるのはスポーツカーの生産。

1962年、オープンボディのダットサン・フェアレディからスタートし、1969年に初代フェアレディZ(S30型)が誕生します。米国日産社長を務めた片山豊さんが、アメリカで勝負できるクルマの必要性を訴え、量産にこぎつけたスポーツカーでした。

日産車体・湘南工場 本社に隣接 モノづくりの雰囲気漂う

日産本体はこのクルマの開発に積極的ではなく、生産は日産車体に。しかし本体の意向をよそに、初代Zは世界で約55万台を販売し、スポーツカーのベストセラーになります。特に海外では「DATSUN Z」(ダットサン ズィー)としてダットサン=日産のブランド向上に大きく貢献しました。

日産車体によるZは4代目(Z32型)の2000年まで続きます。当時の日産のグループCMコピーには、「世界の名車フェアレディZから各種商業車の生産まで…日産車体」とあります。ちなみにゴーン体制で復活した5代目(Z33型)は、生産が日産自動車本体の追浜工場(その後、栃木工場へ)となりました。

日産は時折、他社に先駆けて、新しいジャンルの車種を投入することがありますが、そのなかには日産車体によるものが少なくありません。当初は異端とされた車種でも、ふたを開けてみれば、大ヒットというクルマもあります(しかし、その後、他社にシェアを奪われてしまうことも多いのですが)。

フェアレディZ(左上・初代、右上・2代目、左下・3代目、右下・4代目)

前出のフェアレディZの他にも、ミニバンの先駆けとなったプレーリー、高級ミニバンの嚆矢となるエルグランド、そしてNV200バネットから派生したタクシー仕様は、アメリカでイエローキャブとして採用されました。日産本体に比べると“脇役”ではありますが、しっかり本体を支える存在と言えるでしょう。

日産の前会長、カルロス・ゴーン被告が断行した「日産リバイバルプラン」によって、系列の部品メーカーは多くがグループを離脱しました。一方、日産車体は京都工場が閉鎖されるなど、リストラを余儀なくされたものの、グループには残り、関係を強めました。現在も日産自動車が筆頭株主、日産グループの中核企業です。

2017年東京モーターショーの日産車体ブース 救急車などの特装車も担っている

現在の日産車体は、商用車を中心に海外仕様の大型SUV(スポーツ多目的車)などを生産しています。SUVは国際的にも人気のジャンルであり、また、世界のメーカーが異業種も巻き込んで開発競争を繰り広げている自動運転の普及は、物流=商用車の分野から始まるという見方もあります。

日産車体の本社・湘南工場は神奈川県平塚市にあります。周辺の国道129号線沿いは自動車各社のディーラーがひしめき合い、まさに“クルマの街”という雰囲気。苦境が続く日産グループですが、それを救う英知は、実はこういうところから生まれて来るのかもしれません。

自動車業界は「100年に1度の大変革」、いままでの考え方が180度変わる「パラダイムシフト」が起こっていますが、そんな時代に“脇役”がどう対応して行くのか、注目です。(了)

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