新生日産スタート、嵐の船出か、それとも……
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「報道部畑中デスクの独り言」(第163回)
ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、12月2日に行われた日産自動車・内田誠社長の就任記者会見について---
カルロス・ゴーン被告の逮捕から1年あまり、そして西川広人前社長の辞任劇から2ヵ月あまり……混乱が続く日産自動車ですが、12月1日付でようやく内田誠社長が就任、新体制がスタート。その翌日、就任の記者会見が開かれました。
12月2日午後5時。日産では通常、こうした経営に関する記者会見は大会議室で行われますが、今回は新車発表でも使われる1階の「本社ギャラリー」、数多の日産車が展示されているなか、メインステージには「ARIYA」と呼ばれる、東京モーターショーで出展されたSUVタイプの電気自動車のコンセプトカーに、緑色の初代フェアレディZがありました。
この2台の車を前にした内田新社長の会見は、“新生日産”へのアピールにも見えました。
「この1年、当社は大きな混乱をきたし、世間のみなさまをお騒がせしたことを厳粛に受け止めている。私の役割は、前経営陣がこの1年をかけて築き上げた信頼の回復と、業績の立て直しの基礎を実行に移して形にして行くこと」
内田新社長は、硬い表情のなかにもハキハキと明瞭な語り口でした。内田氏は53歳。中国の合弁会社である東風汽車有限公司の総裁を務めていました。
ちなみに中国という国では、外国の自動車メーカーに出資規制があり、中国企業と合弁企業をつくることが義務付けられています。
そして日産生え抜きではなく、16年前の2003年、商社の日商岩井(現・双日)から転職、同志社大学神学部卒という異色の経歴の持ち主です。日産ではこの他、提携先ルノーとの共同調達を担当していました。
「目標設定において、できないことをできると言わせてしまう文化をいつの間にかつくってしまった」(内田社長)
ゴーン体制で特徴的だったのは「コミットメント経営」。コミットメント=必達目標と訳されるこの言葉、日産ではときに過度な目標が課され、最近は息切れ感が顕著であったように思います。
内田氏はこの過度なコミットメントを明確に否定。「尊重」「透明性」「信頼」、この3つをキーワードとし、「議論を尽くして企業経営にあたって行く。意見や反論が許される会社風土をつくって行きたい」と述べました。
そして、奇しくも今年(2019年)の流行語大賞になった「ONE TEAM」という言葉も飛び出し、トップダウン経営から、集団体制への移行をアピールしました。
また、ルノー、三菱自動車とのアライアンス=三社連合については、「重要な競争力だ」として堅持して行く考えを強調しました。ただ、その形については「まずはアライアンスで利益を出すことで貢献する」と、資本関係の見直しや経営統合については明言を避けました。その上で、「会社の独立性を保持しながら活動を進める」と述べました。
就任最初の会見ということで、「安全運転」の滑り出しと言えますが、会社の目指す姿、今後の日産についてはまだまだ見えないというのが正直な感想です。
ゴーン体制終焉以降、ルノーとの関係がギクシャクしているだけでなく、日産社内でいわゆる「独立派」の動きが出ているという話も報じられています。まずはこのルノーとの関係修復、交通整理で手腕が問われることになりそうです。
一方、中国畑が長い内田社長ですが、国内ユーザーにとっては低迷する日本市場に対し、どのようなスタンスで臨むのかというのが気になるところです。以前、ある幹部が日産の商品体制について「全体最適」という言葉を使っていましたが、その名のもとに、例えば海外向けのクルマの“おこぼれ”を日本に導入するというようなやり方では、決して支持は得られないでしょう。
日本国内で展開している約20の乗用車のうち、コンスタントに月販4ケタの台数をマークしているのは5車種ほど。日本市場をどう考えているのかも知りたいことでした。内田社長の回答は次のようなものでした。
「日本は日産にとってのホームマーケット。非常に重要なマーケット。まず信頼の回復、ここに注力して、さらにお客様が日産自動車に乗りたい、日産を買いたいと思っていただけるように進めたい」
さらに日産車については、次のように語ります。
「日産のクルマは非常にワクワクする。日産の強いところとして、今後世に出して行けるように、全社一丸となってがんばって行きたい」
内田社長が日商岩井時代に最初に購入した車は、中古のフェアレディZだったと言います。歴代の経営陣のなかには、本当にクルマが好きなのかと懐疑的な人もいましたが、日産への愛社精神、愛車精神は十分とみました。その情熱をユーザー、ディーラーや従業員などの関係者にどう伝えて行くかも、今後の課題だと思います。
会見では内田社長を支える49歳のアシュワニ・グプタCOO、58歳の関潤・副COOも姿を見せました。グプタ氏はホンダ→ルノー→三菱自動車COOと、自動車各社を渡り歩きました。
「私にとって新しいチャレンジはいつでもウェルカム。2020年以降は魅力を満載した新車を投入して行く。19年下期は大切な“仕込み”の時期」と、日本語でスピーチしました。
関氏も防衛大学校卒と、異色の経歴の持ち主。あいさつでは「当社はモノをつくる現場、売る現場と経営層の間に大きな隔たりをつくってしまったと思う。この隔たりを少しでも詰めるために、協力して改善に努力して行く」と、厳しく“自己分析”しました。
2019年上半期の決算では、営業利益率がわずか0.6%という赤字すれすれの状態。経営の混乱に加えて、新車の不足による商品力の低下も響いています。新体制を早く確立して、腰を据えた改革を…そして、現在の取り組みの成果は良かれ悪しかれ、約20年後に出る…日産のこれまでの歴史が証明しています。
目の前の立て直しを急ぎながら、未来を見据えたビジョンを…そう願うのは、現場の人々だけではないはずです。
この日、日産本社のある横浜は不思議な天気で、会見の2時間前、大きな雷鳴が響きました。しかし、その1時間後には日が差し、空には虹がかかっていました。日産の行く末を暗示しているのでしょうか? はたして……(了)