プロ野球の大洋、ヤクルトで監督として指揮を執り、『ニッポン放送 ショウアップナイター』でも解説を務めた関根潤三さんが4月9日、亡くなったことがわかった。93歳だった。
関根さんは投手として1950年に近鉄に入団。通算65勝をあげ、57年に志願して打者へ転向。打者としては通算1137安打59本塁打。オールスター戦には5度出場し、53年には投手、63年には外野手としてファン投票選出。65年に巨人で1年間プレーして引退。引退後は広島打撃コーチ、巨人では75年にヘッドコーチを歴任。76年には巨人2軍監督。大洋、ヤクルトでは監督を務めた。また、2003年には野球殿堂入りを果たしている。
同日のニッポン放送「草野満代 夕暮れWONDER4」では、2013年に長嶋茂雄氏が国民栄誉賞を受けた際に関根さんに松本秀夫アナウンサーがインタビューした際の声を紹介するとともに、松本アナが関根さんとの思い出を語った。
松本)関根さんは長嶋さんの巨人入団、昭和33年に1つのプロ野球が変わったくらいのインパクトがあるということをおっしゃっていました。
関根)それまでスポーツマンが野球を職業にするというのはどうも日本人がよしとしなかったのですよね。なんとなしに抵抗があったのですよ。「スポーツを金にするとは何事だ」と僕の親父は言っていました。だけど、ミスターがプロに入ったのでガラリと変わった。随分見直した人が多かったと思う。この人は自分というよりも、いつも人ばかりに気を遣うでしょう。それ以上にこの人は物凄く気がつく人。気の回りがいいの。それと、ミスターの1つの特徴だけれど、あった瞬間にその人が何を考えているかだいたいわかるらしいよ。とんでもないんだよ、この人は。独特な勘なんだね。だから僕はこの人をすごいと思います。
草野)松本さんは関根さんと長く仕事をされていましたね。
松本)歴史を遡ると中学生時代ですから40年以上前に関根さんは「ショウアップナイター」の解説をされていて、当時テレビが始まる前とテレビが終わってから私はラジオにかじりついて聞いていたのですが、(実況の)深澤弘さんと関根さんのコンビはなんて明るくて楽しい。野球実況なのに、こんなに笑える放送があるのだな、と思っていたのがスポーツアナウンサーの仕事っていいな、と思った原体験でもあるのですよ。
草野)朗らかな方、明るい方。
松本)そうですね。決して怒ることはないのですが、厳しさはありました。実況のなかでの思い出というか感謝していることがあるのですが、スポーツアナウンサーになりたてのころ、解説の方にどう聞いていいのかわからない。なんだか変なことばかり聞いてしまうので「どう聞いたらいいですか」と関根さんにご相談したことがあるのですが、「何も難しく考えることはない。すべての答えはグラウンドにあるんだ。あんたは細大漏らさず目の前で起こっていることを伝えればいいんだよ」と言ってくださったのが悩んでいるときの救いになって、いまでもずっとその言葉を覚えているのですよ。
草野)知ったかぶりして聞くのではなく、本当に目の前にあることを実況アナウンサーとして実況するのだよと。
松本)「『ここで少しピッチャーが間を取りました』と言えばそれには何か意味があるのだから、それを俺が言うから」と言ってくださって。
草野)鍛えてくれた方でもあるのですね。
松本)そうですね。
松本アナは、しみじみと噛みしめるように関根さんとの“仕事”を振り返った。
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番組情報
素敵な音楽&豊かな暮らしを、あなたに!「草野満代 夕暮れWONDER4」
(放送は2020年7月2日まで)