看護師・僧侶の玉置妙憂~「着地」という死の先にあるもの
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黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に看護師・僧侶の玉置妙憂が出演。死にゆく人へのケアについて語った。
黒木)今週のゲストは看護師であり僧侶の玉置妙憂さんです。多くの本を出版されておりますけれども、光文社新書の『死にゆく人の心に寄りそう/医療と宗教の間のケア』について、ご説明いただけますか?
玉置)ずっと看護師をしていましたが、医療の現場で医学、看護というものだけではカバーできないものがどうしてもあると感じていました。そして、やがてそれは心の部分、しかも普段はあまり見ることのない深い心の部分、そこのケアができていないのだと感じるようになりました。そこには死というものが出て来てしまいます。現代医学は生きている人が守備範囲です。臨床心理士や科学をバックボーンに持った人たちもたくさんいるのですが、そういう人も生きている人が守備範囲です。生きていて、ある瞬間で亡くなって、そこが真っ二つに分かれているわけではないので、死という一線を越えた向こう側までも守備範囲とする人は誰だろうと考えたときに、それはお坊さんという立場である人だろうと思いました。
黒木)その人が亡くなるということを、「着地」と表現されているのですが、どういうことでしょうか?
玉置)例えば、ハワイへ行くときに飛行機に乗りますよね。着地で終わりではなく、着地した後、ハワイで楽しく遊ぶではないですか。そんなイメージです。人生は飛んでいます。でも着地という死がある。しかしそれで終わりではなく、そこから先、みなさんのいろいろなイメージがあると思いますが、極楽浄土や天国など、どこか気持ちのよいところの、そこから先があるイメージです。
黒木)人の心のケアは、死というものが身近にあるようで、ありません。死ぬということに対する心のケアとして、本を書かれているということですか?
玉置)この本を読んでいただいて、ケアになるかというよりは、「私はこのように考えてやっています」ということです。また、台湾は医学と宗教がコラボレーションしてケアにあたるということが進んでいるので、その台湾の様子なども紹介しています。
黒木)続いて『頑張りすぎない練習 無理せず、ほどよく、上手に休む』という本も読ませていただいたのですが、そのなかには「感謝の返済をして行くことが、生きて行くことだ」と書いてありました。そういうことをして行きながら着地して、着地の後にまた別の世界があるということですか?
玉置)元気なうちはバリバリ仕事をされていますが、だんだん死が近くなって来ると、体が動かなくなり、「できることがないから、生きていてもしょうがない」という気持ちが湧いて来てしまうことがあります。そういうときでも、「ありがとう」だけは最後まで言うことができます。実は人は生まれたときに、すべていただいているのです。あとの人生は、そのことに対してひたすら「ありがとう」と言う役割なのです。お金が稼げなくなったからダメとか、お母さんとして子育てができなくなったからダメとか、そういうことではなくて、「ありがとうと言えば、生きている意味があるよね」という感じです。
玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)/看護師・僧侶
■東京都中野区出身。看護師であり僧侶。一般社団法人介護デザインラボ代表。
■専修大学法学部を卒業後、法律事務所に勤務。
■長男が重度のアレルギー症状をもっていたことをきっかけに「息子専属の看護師になろう」と決意。看護学校で学び、看護師、看護教員の免許を取得。
■看護師として働き始め、その後、看護学校で教鞭をとっているころ、カメラマンだった夫の癌が再発。
■夫は「がんを積極的に治療しない」方針をかため、自宅での介護生活をスタート。夫の自然死を看取ることになるが、その死にざまがあまりに美しかったことから開眼。家族と職場に出家を宣言し、高野山真言宗にて修業をつみ僧侶となる。
■現在は現役の看護師としてクリニックに勤めるかたわら、一般社団法人「大慈学苑」を設立し、患者本人や家族、医療と介護にかかわる多くの人々の心を穏やかにするべく、院外でのスピリチュアルケアに力を注いでいる。
■また子世代が親の介護と看取りについて学ぶ「養老指南塾」や、在宅での看取りとスピリチュアルケアについて学ぶ「訪問スピリチュアルケア専門講座」を展開しながら、講演会やシンポジウムを開催。
■2020年4月からはニッポン放送「テレフォン人生相談」のパーソナリティも担当。
■著書・最新刊『頑張りすぎない練習-無理せず、ほどよく、上手に休む』(3/19発売)
番組情報
毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳