身を挺して安保改定した岸元首相~日米安保条約60年
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ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(6月23日放送)にジャーナリストの有本香が出演。発効から23日で60年を迎える「日米安保条約」について解説した。
日米安保条約、発効から60年~身を挺して改定した岸元首相
菅官房長官は22日の記者会見で、改定された日米安全保障条約の発効から6月23日で60年を迎えることについて「我が国を取り巻く安保環境は大きく変化して来たが、日米安保体制は我が国の外交・安保の基軸であり続けて来た。今後ともアメリカと緊密に連携し、地域や国際社会の平和と繁栄の確保に取り組む」と語った。
飯田)新安保と呼ばれる日米安保の発効から、23日で60年。
有本)1960年ですから。
飯田)片務的と言われた旧安保から、日本の主張、権利を認める形での新安保だったわけですが。
日本にとって不平等な内容を改定した「新安保」
有本)これについては、激しい反安保闘争というものがありました。国会の周りをデモ隊が取り巻くというような映像が、いまでも流されることがありますが、なぜそこまで反対したのか。当時、安保反対デモに参加したという方たちに聞くと、「実は安保改定の内容を読んだことはなかった」という話も出て来るのですが、そもそも旧安保のときには、アメリカは日本を防衛するという義務がなかった。義務すらないにも関わらず、アメリカは、日本のどこでも好きなところに基地をつくることができるという、日本にとっては非常に不平等な内容だったわけです。
飯田)占領中の状態をそのまま維持するためにつくったという面が大きかった。
当時の反対するデモ隊のスローガンは「これを改定すると日本がアメリカの戦争に巻き込まれる」~いまでも日米安保体制反対の際に使われる
有本)なおかつ、日本国内で叛乱のようなものが起きたら、米軍が鎮圧するということになっていたのです。これはまさに占領されている状態だということです。この弊害はいくつか改定までにあるのですが、その1つが1952年の竹島の問題です。当時の韓国の初代大統領の李承晩が「李承晩ライン」というものを超えて、日本の漁船を次々に拿捕した。このようなことが弊害としてあり、それを受けて1960年、岸内閣のときに改定しようということになるのですが、当時のデモ隊が掲げていたスローガンは、「もし、これを改定すると日本がアメリカの戦争に巻き込まれる」ということだったそうですが、どこかで聞いたことのあるフレーズです。
飯田)いま、まさに安保60年で特集されている新聞も、同じことを見出しに掲げています。
有本)最近でいうと、安保法制。5年前です。そのときも反対側は同じことを言っていました。そういう歴史の始まりのようなものです。
飯田)PKOのときも言っていた。
当時の岸首相が身を挺して改定した日米安保条約
有本)日米安保体制に反対するときには、必ず「日本はアメリカの戦争に巻き込まれる」というフレーズを掲げて反対する人たちが現れるという歴史の始まりです。結局、先ほど申し上げたように旧安保でよかったのかと言うと、そんなことはないわけです。このときに岸内閣は、安保の改定に伴って混乱を引き起こしたということで、最終的には辞職しました。その前にデモ隊が押し寄せて来て、「このままだとデモ隊が雪崩れ込んで来て襲われて、岸首相に命の危険があるかも知れない」と警察から進言され、逃げてくださいと言われるのですが、そのときに岸首相は「首相官邸で死ぬのなら、これは男子の本懐だ」と。決して逃げないと言ったという逸話も残っていますし、そのときに岸首相の弟だった佐藤栄作元首相も「兄さん、一緒にここで死のう」と言ってブランデーを飲んだという逸話も残っています。そうして、いまの日米安保体制というものはつくられたのです。ですから、是非はあるけれども、これなしでは日本の安全保障は考えられないということでしょう。
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