日産・次期Z公開で思い出したあの小型クーペ
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「報道部畑中デスクの独り言」(第210回)
ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、1965年に発売された日産の初代「シルビア」について---
先日、横浜の日産自動車本社近くに設けられた期間限定の「ニッサン パビリオン」に足を運び、一般公開された次期フェアレディZを見ました。その後、帰り際に「AXIS」というデザインに関する雑誌を入手しました。
臨時増刊号として日産のデザインが特集されていて、そのなかに興味深い記事がありました。
それは初代シルビアの「リファインプロジェクト」に関するものでした。日産が2018年から行っている社内の自主研究プロジェクトで、当時のデザインのスケッチや写真を基に、デジタルモデルをつくるというもの。
「もしも予算も技術の制約もなかったとして、シルビアをアップデートするとしたら、どんなふうにつくる?」という社内の雑談から生まれたそうで、誌面では当時のデザイナーである木村一男さんと、現役の社内デザイナーが対談していました。
「自動車は屋外を走るものだから、街の人や環境、そして文化にも大きな影響を与える」
木村さんの言葉はある意味で、クルマの本質を言い当てたものでしょう。量産車であればなおのこと、クルマは街の景色の一部となります。そのデザインの良し悪しは、ひいては国の姿をも映し出すものと言っても過言ではないと思います。
現役のデザイナーが範とするほどの初代シルビアは、1965年に発売されました。BMWなどをデザインしたドイツのデザイナー、アルブレヒト・ゲルツ氏の助言を経て、木村さんら日産社内のデザイナーがまとめ上げたスタイルは、「クリスプルック」と呼ばれ、宝石のカットを思わせるような美しいものでした。
当時、日本の自動車メーカーはピニンファリーナ(日産の2代目ブルーバード、2代目セドリック)、ジウジアーロ(いすゞ117クーペ)、ミケロッティ(プリンス・スカイラインスポーツ、日野コンテッサ)など、デザインをヨーロッパのカロッツェリア(イタリア語で「車体・デザイン製造業者」)に委託することが流行しましたが、この初代シルビアは外国人の助言は得ているものの、日本人の手でつくられた本格的なパーソナル・クーペだったわけです。
継ぎ目のないボディなどは、ほとんどが手仕上げだったそうです。私も実車を見たことがありますが、いま見ても美しく、室内もレザー風のシート、木製のステアリング、グローブボックスや灰皿、シフトレバーなどの凝りに凝った造形は、すべてが職人技と思わせるものでした。
当時のダットサン・フェアレディ(Zの前身となるSP310型)をベースとする1600ccの小型のFR(前部エンジン、後輪駆動)クーペでしたが、お値段は120万円と、翌年発売された大衆車サニーが2台買えるほどの高価なものでした。
そんなこともあり、生産台数は3年あまりでわずかに554台。ちなみに現在の中古車市場ではヴィンテージ・カー(古くて価値が高いクルマ)として、700万~900万円の高値で取引されているようです。
その後、シルビアはいったんその名を中断しますが、1975年に2代目として復活。初代と性格は違えども、2002年に7代目が生産を終了するまで、小型FRクーペというスタイルを貫きました。初代のみならず、中古車市場で現在も根強い人気があります。
次期フェアレディZが公開され、思い出したのがこのシルビアです。2002年に生産を終了してから、日産の小型クーペの系譜は途切れていますが、東京モーターショーでは2005年にフォーリア、2011年にESFLOW(エスフロー)、2013年にIDx(アイディーエックス これはむしろセダンに近い)などのコンセプトカーを出品しました。
いずれも市販化が期待されながら実現に至らず、最近のモーターショーでは、このようなクーペの出品は影を潜めています。ただ、前述のプロジェクトの記事を見ると、日産はまだこの分野を完全にあきらめていないのではないかと感じます。
確かにこの種のクーペは趣味性が高く、トヨタ自動車でさえ、86はSUBARU、スープラはBMWとの共同開発であり、単独での開発は厳しいのが現状です。
しかし、例えば前出のESFLOWは電気自動車のFRクーペです。知恵と情熱次第で、日産がこの分野を再び切り開くことは可能ではないかと思いますが、いかがでしょうか。
デザイナーと言えば、今年(2020年)7月、初代フェアレディZのデザイナーだった松尾良彦さんが他界されました。
初代Zと言えば、アメリカでの成功に貢献し、「Zの父」「ミスターK」と呼ばれた故・片山豊さんが有名ですが、あのひと眼で見てZとわかるスタイルは、松尾さんがまとめたもの。松尾さんの生前に、次期Zの姿が間に合わなかったのは残念なことでした。
日産はサラリーマン会社ゆえ、労働争議や社内抗争の歴史を重ねていますが、このような類まれな“職人”たちのストーリーも多く、それこそが財産であると思います。松尾さんのご冥福をお祈りいたします。(了)