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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
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新刊『続・山を買う』 山を持つ人々や林業の専門家に取材し、買い方について紹介
新型コロナの影響で、テレワークや地方移住が注目されていますが、編集者の來嶋路子(くるしま・みちこ)さんが東京から北海道に移住したのは、いまから9年前の2011年。きっかけは東日本大震災でした。
「当時、長男を出産したばかりでした。計画停電や、スーパーから物がなくなるのを経験して、都会の暮らしはいろいろなものに依存していないと暮らせない、と気づき始めていたんです。そんな育児休暇中に、勤めていた美術関係の出版社から『在宅勤務でもいいので早く復帰して欲しい』と言われて、それならばと、夫の実家である岩見沢に移住を決めました」
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編集者・來嶋路子さん
北海道岩見沢市……かつて炭鉱があった山あいの集落に、家族3人で引っ越しますが、路子さんは世田谷生まれの都会っ子。移住したころは友達がつくれず、寂しい思いもしました。
右も左もわからないこの土地で「何ができるんだろう」と、進んで行きたい道を見出せずに、悶々と数年間を過ごします。そんなある日、路子さんはひらめきました。
(そうだ!『エコビレッジ』のような場所をつくれたら……)
エコビレッジとは、自然と共生し、環境に優しい生活を目指すコミュニティのことです。
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現在住んでいる美流渡地区の風景
「不動産物件を探していたら、知り合いが『山が買えるよ』と教えてくれたんです。そこは8ヘクタールの荒れ地で、東京ドームが4.7ヘクタールなので、約2倍弱の広さでした。土地の価格は中古車1台分ほど。『それなら買える!』と思いましたが、山を切り開き、井戸を掘ったりすると、かなりのお金が必要でした。さらに冬の除雪をどうするかという問題もあって、エコビレッジをつくるのは難しいとわかったんです。だからと言って、山を買うことを諦めたくはありませんでした」
路子さんはアウトドアの経験もほとんどありません。それでも、勢いで山を買ってしまいます。
「山を買った日のことは、いまもよく覚えています。4年前の3月、春の雪は氷のように固くしまっていて、沢がある斜面は格好の雪の滑り台で、当時5歳になった息子が声をあげて滑って行きました。山の楽しみを1つ見つけた瞬間でしたね!」
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岩見沢市に購入した山(山といってもほとんど平らな土地)
北海道の長い冬が終わると、待ちに待った春がやって来ます。
「北海道の四季の移り変わりは、とてもダイナミックで、なかでも春は階段を駆け上がるようにやって来るんですよ。渡り鳥が北へ飛び立ち、フキノトウが顔を出したら、桜や桃や梅が一斉に咲いて、すぐに青葉の初夏に変わるんです」
荒れ地だと思っていた山で、タラの芽、山ウド、ワラビなどが採れ、週末になると家族や友達を連れて山に出かけました。
こうした山での活動を「山活(やまかつ)」と名づけ、夏は野いちごを摘んで、ジャムづくりを楽しみます。秋は山の土が粘土質だったので、縄文土器のような陶芸を始めました。
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山でとれる野いちご
11月から長い冬が始まり、4ヵ月ほど「山活」はお休みになります。現在、お子さんは10歳、6歳、3歳の1男2女。子育てと仕事で、「奮闘というより格闘です」と路子さんは笑います。
「『山を買うメリットとデメリットは?』とよく聞かれますが、そんなことを考えていたら買わなかったと思いますね。『山を買ったらどうなる?』というワクワク感だけなんですよ」
5年前に独立した路子さんは、「ミチクル編集工房」を設立。「山活」をまとめたイラストエッセイ『山を買う』をつくり、それがきっかけで出版活動をスタート。〈森の出版社 ミチクル〉と名づけ、毎年1冊ペースで本を出しています。
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笹藪が雪に覆われると、山を縦横無尽に歩けるようになる
この10月には、『続・山を買う』を出しました。本の最後に、こんな言葉が綴られています。
「皆さんも地球の一部をあずかってみませんか? 山を買って愛してみませんか? そして山のこと、地球のことをお互いに話しあえたらと思っています」
部屋で絵を描くのが好きな少女だった路子さん。いまはすっかり、北海道の大地に溶け込んでいます。
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2017年刊行『山を買う』(山を買った経緯をまとめたイラストエッセイ)
<來嶋路子(くるしま・みちこ)>
■1972年、東京生まれ。編集者。
■(株)美術出版社で「みづゑ」編集長、「美術手帖」副編集長などを歴任。2011年に北海道へ移住。
■2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う「ミチクル編集工房」をつくる。
<ミチクル編集工房>
michikuru.com