それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
「仕事納め」まで、あと3週間を切りました。例年だと残っている仕事の山にイライラ感やドキドキ感が増して、落ち着きのない人が増えるころですが、コロナ禍の今年(2020年)はサッサと終わり、一足飛びに新年にループして、パッと潮目を変えたい! そんな気分になっている方が多いようです。
ところで、仕事へ向かうテンションが下がっているとき、どんなものが背中を押してくれるでしょうか?
家族の「いってらっしゃい!」という言葉や、「行かないで~」とワンワン鳴くペット。晴れ上がった冬の青空、寒さなどものともしないで駆けて行く子どもたち。いろいろなものから元気をもらって、人は頑張ることができます。
全日本応援協会チア部の部長・朝妻久実さんは、6人のメンバーと一緒に、チアリーディングというストレートな方法で、出勤途中の方々にエールを送っています。昨日やきょうだけの話ではありません。
2009年から11年間で、その活動は2020年11月12日、通算1000回を達成しました。ポニーテールに揃いのユニフォーム、赤いミニスカート、真っ白なスニーカー。金色のポンポンを振りながら、元気な曲で踊ります。
コロナ禍のなか、殺伐とした通勤途中の雰囲気は、明るい掛け声とダンスで一瞬なごみ、仕事に向かう重苦しい背中を押してくれるのです。
彼女たちは毎週木曜の朝、新橋、新宿、池袋などの駅前を中心に活動。金曜日は、横浜市桜木町で地元のメンバーたちが活動しています。朝妻さんは言います。
「朝、そこで私たちを見かけたみなさんがちょっとだけ勇気を出す。そんなエネルギーになれたらと思います。もちろん、すべての人が応援されることを望んでいるわけではありません。まっすぐに立てた親指を地面に向けて、通り過ぎて行った人もいます。でも私たちはやりたくてやっているのですから、どんな態度を示されようと、それに『ムカつく!』と言うのは、ちょっと違うと思うのです」
朝妻久実さんは、北海道生まれ。東京の私立大学に進学して、チアリーディング部で活躍。卒業後はアルバイトで生計を立てつつ、アナウンススクールに通います。
山陰中央テレビの契約社員として、晴れてアナウンサーの夢をかなえたのは24歳のときでした。契約満了後、彼女はさらなる夢を見て上京したものの、フリーアナウンサーの道は厳しく、仕事はなかなか決まりませんでした。
「私には魅力がない? 力がない? 必要とされていない?」
次々に湧き出て来るネガティブな想いのなかで、「どうせ私なんて……」と捨てばちな気分になりかけたころ、知り合いのディレクターに聞かれました。
「でさぁ……結局、朝妻さんって何がやりたいの?」
彼女は自分の胸の奥をさぐりながら、夢中で答えたと言います。
「私、学生時代にやっていた、チアをやりたいんです!」
「チアリーダーかぁ。そういえば新宿で、1人で頑張っている女の子を番組に呼んだことがあるなぁ」
数日後の早朝、新宿駅に行った朝妻さんは目撃したそうです。通勤客でごった返す駅前の路上で、彼女は1人、果敢にチアを踊っていました。周囲からの冷たい視線を気にも留めない様子で、ただひたむきに応援する。朝妻さんは、その朝のことを忘れられません。
「ウワッ、スゴイ! と驚きました。そしてほんの一歩、勇気を出して頑張れば、自分の人生を変えられるのではないかと思ったんです」
朝妻さんは、その場で申し出たと言います。
「一緒に活動させてください!」
こうして始まった2人だけの活動は、およそ5年続いたと言います。彼女が結婚で引退してからも、参加メンバーは3人、5人と徐々に増え、その活動は引き継がれて来ました。
この11年間には、いろいろな出会いがありました。チアが終わった後、駆け寄って来た高齢の女性は、朝妻さんの手を握りしめて泣きながら言ったそうです。
「娘がガンで闘病中なんです。辛いことばっかりだけど、『私も頑張らなきゃ』と思いました」
新宿では、こんなこともありました。近づいて来た中年の女性が言いました。
「あの……私ね、リストラされちゃったの。でもあなたたちの姿を見ていたら、いまの私にもできることがあるのかも知れないと思ったわ」
数日後、同じ新宿の路上で、その女性が靴磨きをしている姿を見かけたと言います。
朝妻久美さんの活動のお話をご紹介しながら、日本赤十字社がスローガンに掲げている言葉を思い出しました。
『人間を救うのは、人間だ』
番組情報
眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ