それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
東日本大震災から、2021年3月11日でちょうど10年。さまざまな式典やセレモニーが執り行われ、マスコミがそれを大きく報じました。
「地震や津波のことは、もう忘れたい。でないと次の一歩を踏み出せない」という考え方もあるのでしょうが、特番や特集を見たり聴いたりしていると、「やっぱりまだまだだなぁ」と深く思わずにはいられません。忘れてはいけない、思い続けなくてはいけない、そして考えなければならない。それが東日本大震災なのだと思います。
東京都目黒区下目黒で、アート展開やイベント企画を手掛ける会社『OVER ALLs』を経営している赤澤岳人さんは、福島県双葉町をアートで再生させたいと、『FUTABA Art District(フタバアートディストリクト)』というプロジェクトに取り組んでいる方です。
双葉町は、福島第一原発事故によって町全体が、日中の立ち入りだけが許される「避難指示解除準備区域」と「帰還困難区域」の指定で分断されてしまった町。
しかし、日中の立ち入りが許されたのは町の4%に過ぎず、残り96%の地域は「帰還困難区域」に指定され、除染と瓦礫撤去作業に携わる作業員以外の一般住民は、一時帰宅を含め町内への立ち入りを厳しく制限されてしまいました。
その制限がようやく解かれたのは、去年(2020年)の3月4日。そして3月14日には双葉駅が、常磐線の全線復旧に伴い営業を再開しました。しかし、昇降客はほとんどいません。町の時間はまだ止まったままのようです。
この双葉町に残っている建造物の壁などを、大きな壁画アートで埋める。それが赤澤さんの夢であり目的です。キッカケは、双葉町にあったレストラン「キッチン たかさき」の息子さん・高崎丈さんでした。
高崎さんが現在、世田谷区太子堂で営んでいる魚と日本酒にこだわった店を、赤澤さんが訪れたのが2人の出会いでした。折しも帰還困難区域の一部避難指示が解除され、町の再生についての議論が始まっているときでした。
赤澤さんは、自分の仕事をこのように説明します。
「たとえば、オフィスに施したアートを見て号泣した人がいる。『やっと息子に語りたい仕事場になりました』と喜んだ人がいる。しかし、自分が双葉町に描きたい壁画は、そんなものでは終わりません。最初は『ワオッ!』という叫びでいい。『ワオッ』と叫んだあとで、『久しぶりに戻ってみたいなぁ』とか、『この町で仕事ができたらなぁ』と思う人がいたらそれでいい。これはアートにしかできないことなんです」
熱く語る赤澤さんに、高崎丈さんも賛同。赤澤さんの会社の画家である山本勇気さんも加わり、『FUTABA Art District』がスタートしました。いくつかの作品をご紹介しましょう。
こちらは、双葉町「キッチンたかさき」跡地の外壁に描かれた壁画です。
ロミオとジュリエットをモチーフにした男女。2人は精一杯手を伸ばして、触れ合おうとしています。けれども女性の前には棒グラフのような柵があり、2人はなかなか触れ合うことができません。
実はこのグラフは放射線の量。その数値が下がれば2人は結ばれるという、原発事故の終息を祈る絵です。
同じく、こちらも「キッチンたかさき」跡地の外壁に書かれた文字と壁画です。
文字は『HERE WE GO!』。絵は、高崎丈さんの左手です。その人差し指は「HERE WE GO=さぁ行くぞ」と、地面を指しています。
ここから! という存在証明。未来への強い意志を表したと言います。
双葉の人なら誰もが知っているファーストフード店「ペンギン」の名物ママ、吉田岑子さんが、店の名物メニューだったドーナツの穴から町の未来を見つめている絵。ペンギンのママは、悩める子どもたちの相談役。「双葉町のお母さん」だったと言います。
こうした壁画は、双葉駅で降りると、パッと目に入る場所に描かれています。何人もの人が、赤澤さんが願う「ワォッ!」「ありゃ何だ?」という叫び声をあげてくれることでしょう。そのとき、もしも隣に人がいたら「どうも」から短い会話が始まるかも知れません。
「きょうは、どうして双葉へ?」
「住んでいたんですよ、この町に」
「へぇ、駅からは遠いんですか?」
「あの辺り……ワオッ、ありゃ何だ」
こんな会話が交わされ、2人はきっと友だちになる。赤澤さんは、双葉町に残っている壁という壁にアートを施すつもりです。
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