作詞家・作曲家・歌手は無名なのに80万枚の大ヒット! 郷ひろみや山口百恵を育てた音楽プロデューサーの原点

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ニッポン放送「八木亜希子LOVE&MELODY」(毎週土曜日8時30分~10時50分)の番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【東京新聞プレゼンツ10時のグッとストーリー】

今月、数々のヒット曲を世に送り出してきた音楽プロデューサー・酒井政利さんの訃報が伝えられました。85歳でした。CBSソニー時代、郷ひろみさん・山口百恵さん・キャンディーズなどを手掛け、スターに育て上げた酒井さん。このコーナーでも3年前に、郷さんのヒット曲にまつわるプロデュース秘話について、酒井さんに取材したことがありました。きょうは酒井さんを偲んで、そのプロデューサー人生の原点になった曲にまつわるストーリーをご紹介します。まだ駆け出しだった頃の酒井さんのその曲とは?

作詞家・作曲家・歌手は無名なのに80万枚の大ヒット! 郷ひろみや山口百恵を育てた音楽プロデューサーの原点

子どもの頃から映画が大好きだった、酒井政利さん。立教大学を卒業後、「とにかく映画を作りたい」と、松竹に入社しました。ところが入社早々、酒井さんは先輩社員からこんなことを言われてしまいます。「今頃ここに来るのは不運だね。これからはテレビの時代だよ」その先輩はさらに、こうアドバイスしてくれました。「君、音楽には興味ないの?ちょうど今、レコード会社の日本コロムビアが人を探しているから、受けるといいよ」

当時、音楽にはまったく興味がなかったという酒井さん。それでも、コロムビアが募集しているのが「文芸部員」だと知ると、その「文芸部」という響きに惹かれ、採用試験を受けてみることにしました。酒井さんは、高い倍率を突破してみごと合格。「文芸部員」とはプロデューサーのことでした。最初はポップス班に配属され、洋楽曲のカバーポップスを担当していましたが、酒井さんは何かもの足りないものを感じていました。

「仕事には恵まれているのに、なんで退屈なんだろう? そもそも自分は、映画を作りたかったんじゃなかったのか?」と自問自答した酒井さん。ある日、こんなことを思いつきました。「……そうだ! 想像の中で映画の主題歌を作ればいいんだ!」自分で原作を見つけてきて、想像でキャスティングし、その架空の映画のテーマソングを作るのです。

さっそく、街の書店を回って「若い人たちに人気が出そうな本があったら、教えてください」とお願いした酒井さん。そんな中、ある書店のご主人に「こんな本があるよ」と教えてもらったのが、難病に冒され21歳の若さで亡くなった女子大生と、彼女を支えた男子大学生の3年間に及ぶ文通をまとめた本でした。「これは、歌になる」と確信した酒井さん。さっそく発行元の出版社に赴き、新入社員の立場で社長と直談判。レコード化の独占契約を勝ち取りました。

酒井さんは、亡くなった女子大生の気持ちを歌詞にするには、同じ女子大生に書いてもらった方がいいと判断。芸能雑誌の歌詞募集企画によく応募していた女子大生を紹介してもらい、本を渡して「あなたのイメージで主題歌を書いてください」と依頼しました。曲も新人の作曲家を抜擢。さらに歌手も、当時18歳で、なかなかヒットに恵まれなかった女性歌手を起用しました。

素人の作詞家と、無名の作曲家・歌手による曲「愛と死をみつめて」は、会社の予想を上回る大きな反響を呼び、80万枚の大ヒットを記録。この年のレコード大賞を受賞し、原作の本もベストセラーになりました。さらに吉永小百合さん・浜田光夫さん主演で映画にもなり、こちらも大ヒット。社会現象ともいえるブームを巻き起こし「メディアミックスの先駆け」と言われています。その発案者であり、仕掛け人となった酒井さんは、間接的にですが、音楽業界にいながら「映画を作った」のです。

酒井さんは、のちにこう語っています。「プロデューサーは、打算で動いてはダメなんです。自分がいいと信じたものを『無心に出す』。それが、私のプロデュースの指針になりました」

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東京新聞 プレゼンツ 10時のグッとストーリー

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ニッポン放送「八木亜希子 LOVE&MELODY」(毎週土曜日8時30分~10時50分)内で10時から放送。番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしています。

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